第一章

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その雑居ビルは、さほど大きくは無い。 入居者を示す表示板を見ても、各階、二社から三社程の名前しか書かれていない。 『新庄央探偵事務所』は、三階に表示されている。 だが、三階に他の企業の名前は無い。広く無いとは言えど、彼の事務所はワンフロアを独占して入居している事になる。 では、相当繁盛しているのかと問えば、答えは『NO』である。 新庄央(しんじょうなかば)。 名字は、先日メジャーリーグから凱旋帰国し、北海道を拠点とする球団に入団した、著名なプロ野球選手と同じである。 名前の方は、なかなか変わった読み方をする。 中央の『央』を一文字で 『なかば』。 いつも人の中心にいる様にという想いを込めて名付けられたらしいが、間嶋の知る限り、その想いは成就しなかったと思われる。 彼の知る新庄央は、社交的とは程遠く、むしろ人間嫌いに属する傾向にある。 いや、人間嫌いと言い切ると、やや語弊があるかも知れない。好きな人間には饒舌だが、嫌いな人間には寡黙になる。 こう言った方が、的を射ているような気がする。 とにかく、一風変わった人物である事だけは確かだろう。 そんな、非社交的な彼が経営(という言葉が妥当かどうかは定かでないが)する探偵事務所が、商売繁盛しているとはとても思えない。 彼が人間を選ぶのと同じ様に、扱う事件も『選ぶ』のである。 では何故、彼の事務所はワンフロアを独占しているのか。 答えは意外に単純明快で、この雑居ビルのオーナーこそが、彼なのだ。 彼の父親が残した、遺産であるこの建物。 新庄央の生計は、この不動産が生み出す家賃収入で賄われており、探偵事務所が利潤を計上する事実は、未だかつて見た事が無い。 エレベーターを呼び出し、鏡張りになったその扉で、間嶋は自分の姿を眺め見る。 三十五歳、独身。 身長186cm、体重76kg。 長年現役を続けていたサッカーで鍛えた身体は、自分で言うのもなんだが、かなり女性からのウケがいい。 その身体を横に映し、腹の丸みを確認する。 まだ、目立つ程丸みを帯びてはいないが、警察官として現役だった頃から比べれば、確実に脂肪がついてきている。 退職と同時に、サッカーも引退した。 『ジムでも通うか…』 そんな事を考えながら下腹をさすっていると、いきなり扉が開いた。
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