A子の症候群

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20XX年11月9日  「11月9日。1989年にはベルリンの壁が崩れた日。でも日本は相変わらず。私の周りもクダラナイお喋り、流行の音楽や芸人(あんなのは半年や一年たらずで使い捨てられるだけなのに)が漂っている」  「友達なんかいないから。周りはいつも私を好奇の目で見てくるから。友達なんかいらないの。わかってる。被害妄想。でも抜け出せないの。ノートに猫の絵を描くほど器用じゃないから。かといって、親や周りの目を引くために手首を切るなんて安っぽい真似はしたくない。死にたい、そんなクダラナイ考えを実現するなら、浴槽に水を張ったあと、切った手首を突っ込んでやるの。でも、そんなのクダラナイ。  「月曜日の朝に、駅のホームから電車に飛び込んだ方がまだマシ」。だから私は耳をつぐむ。誰かが私のことを笑っているワケはないのに、笑い声が私を恐怖に誘うから。「月曜日は電車への飛び込みが多発するなんて話があるけど、それもクダラナイ。満員電車は嫌いだし、型にはまった生き方も嫌い。なにより、窮屈な日本が嫌い。でも、そんな窮屈なところで生きて行かざるを得ない」 「新聞を読む振りをして、私の脚をジロジロ見てくる中年、満員電車に顔をしかめる学生。女性専用車に鎮座して、くどい顔を必死に隠そうOL。そんな社会のノイズを遮断できるから」。私は目を瞑る。  震動。慟哭。惨劇。脱線。今、肉塊を載せて走っている電車に何かが起こってしまえばいいのに。1989年にはベルリンの壁が崩れたし、その60年以上前の今日、ベルリンではユダヤ人の店が沢山壊され、多くのユダヤ人がドイツ人から暴行を受けた。クダラナイ肉塊たちも、60年前にベルリンで起こった悲劇のように、理不尽な暴力に晒されてしまえば良い。  「私は目を瞑っているし、耳も塞いでいるから安心なの」と、心配するウサギに話かけるのは私。どっかの小説じゃあるまいし、ウサギを取って食べようという気にはならない。
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