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1860年3月3日、大老井伊直弼が上巳(じょうし)の嘉節(桃の節句)の
賀詞を述べるために登城してくるのを、水戸藩士17人と薩摩藩士の有村が桜
田門外で待ち伏せて、有村が井伊の首をあげた事件。これは安政7年3月3日
の事。あれ待てよ、たしか万延元年3月3日だったはず。通説はそうだったよ
うな気がする、という人もいるでしょう。
実は幕府は「大老が殺害されるなど縁起が悪い。安政の大獄などもあり、日本
人同志が殺しあうのは少なくとも“安政”ではない。お互いの命を大切に発展
していく日本にしたい」と“万延”と改元したのが、事件から15日過ぎた3
月18日でした。
昭和から平成になったのも、昭和は64年1月7日まで、平成は8日からです
から、同じように、この事件も安政7年3月3日とするべきであるのに、「万
延元年3月3日、桜田門外の変」が一般的になっているのは不思議な現象です。
ただ、報道などのあまり発達していない時期だからできた事なのでしょうが。
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