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日が経つごとにイジメがエスカレートして行く。
当時、私は学校を自転車通学していた。
その自転車までもが、空気を抜かれたり、サドルだけ無くなっていたり、時には自転車ごと隠されている事も多々あった。
初めは耐えれた。だが、それが当たり前かの様に毎日永遠と続く。
幸いにも近々、三者面談があり、その時に担任の先生にイジメの事を母と共に言う。
昔の出来事を全て先生に話した。
母は私と先生の前で……泣いていた……
母:『息子の体をこのようにしたのは全て私のせいなんです‼私がもっとしっかり見てればこんな事にはならなかったのに……』
先生は懸命に母を慰める。
(確かにこの忌々しい体にしたのは母だ‼)私はそう思っていた。当時、私の年齢は14歳。調度、思春期(反抗期)で身体的、精神的にも不安定な状態。不都合な事は全て人のせいにする。自分から逃げる頃合いだ。
全ての責任は母だ!と決めつけてしまっている。
だが今となってはこの火傷は不運な事故だ。母のせいでは無い。当時、母を責めた自分に罪悪感を感じる。
結局、先生と話した結果、当分、私だけ別室で授業を受ける事になった。イジメる物は誰も居なく居心地が良かった。
だが、そんな日々も長く続かなかった。
個別授業を終え、帰宅しようとした時に不良グループが自転車置き場で2~3人居る。彼等はすぐに私に気付き、またイジメられた……
もぅ精神的、肉体的に限界まで達していた私。そんな私に一言。
不良:『お前長い間見れへんから体ぜんぶ溶けてもうたんかと思ったわ‼ハハハ笑』
その言葉で私の中の全てが爆発した。
私:『うあ゙ぁぁ~~』
殴る!殴る!殴る!これでもかと言うぐらい私は殴り続けた。周りの物も投げつけ、自分の自転車も振り回している。
もちろん私もかなりの打撃を受けた。先生達何人かで止められ、私も不良達も出血が多く直ぐに病院に連れていかれた。
不良グループの1人が重症で3週間程入院。(一生入院しとけ!!)私はそぅ思った。
私の方はと言うと、奇跡的に傷は大した事は無く2日入院で済んだ。退院後、学校には行かず、これからの事を考えた………
それにしてもイジメ、暴力、暴言、人の弱みにつけこむ。
……………酷いものだ………
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