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僕が助けなければ彼女は死んでいた……。
そんな彼女を守りきった満足感に沸き立てられた、熱湯のようなヒロイズムに浸り、おかしなことにいつもなら軽蔑の眼差しを送るはずの、偶然この場に居合わせた見ず知らずの群衆と同調して、僕もまた平常心を失っていた。
熱病にかかったように憔悴した気分も落ち着いた頃にようやく、勢い余って尻餅をついている、実体としての奈々美の存在に気付けるようになり、「大丈夫?」と駆け寄って声をかける。
奈々美の「お尻が痛ーい」という呟きが聴こえ、その声色から僕は彼女が無事であることを知り、胸を撫で下ろした。
彼女は奇跡的にかすり傷一つなかった。
僕も飛んできたガラスの破片で少し口元を切ったぐらいで、たいしたことはない。
奈々美は尻餅をついた際も、彼女のいつも携帯している小さなハンドバックがクッション代わりになってくれていたので、彼女が主張するほどの痛みも無かったはずだ。
このハンドバッグには彼女の携帯電話に化粧品などが入っていたので、後に立ち上がった彼女は何より先に中の荷物の安否を確認することとなる。
それに関しても、鏡一つ割れてはいなかった。
僕が彼女は事故のショックに動転し、もしかしたら泣いてしまうかもしれないと予想していたのに反して、奈々美は案外ケロっとしていたが、しかし大きな音にびっくりして腰を抜かしてしまっているようだった。
「起きれなーい!ユキっちー、起こしてー!」と、あたかもひっくり返った亀のような恰好で、僕の足元で素っ頓狂に情けない声をあげている。
後ろから抱き上げてゆっくりと起こしてやると、目には見えない膝についた砂埃を掃うような一連の動作をした後に、開口一番、
「びっくりしてお腹、なおっちゃった!私、行くとこ決めてきてるから、ご飯は後にして先にヒルズに行っちゃおう!」
と言った。
僕は彼女の病的なほどのあまりの暢気さに内心少しあきれていたが、これからの残りの一日をしらふで生きるために、異常なまでに騒しさを増してくるこの通りから僕も早く逃げ出してしまいたいたかったので、未だ強張ったままの顔を崩して、彼女の意見に譲歩のオーケー・サインを示した。
奈々美が出発間際に、無知ゆえに無意識に美しい刺を備えている余計な一言を付け加えて、無防備な僕の気持ちを横から引っ掻き回した。
「ユキっちはああいう洒落た場所には縁が無いでしょ?私が案内してあげる」
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