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対する奈々美はといえば、未だに仕事を持っていなかった。
23歳にもなって、裕福ではないが貧しくもない両親のもとで、長すぎるモラトリアム期を過ごしていた。
四年間の大学生活を終え、ポーズだけの「自立」を口実に近くのアパートへと引越した彼女は、愛する一人娘への親の仕送りを頼りにして、大学時代と変わらないような、自堕落な生活を送っていた。
親に言われて、たまに幾つかのパートの仕事をした。しかし、飽きやすい性格が災いして、どれも長くは続かなかった。
二人が出会ったのは気だるい高校三年生の初夏に、今城が父親の仕事の都合でこちらに引っ越して来てからだ。
内気な性格により中々クラス馴染めずにいた今城にも、人懐っこい性格の奈々美はすぐに打ち解け、二人はすぐに仲良くなった。
二人とも一人っ子であったこともそれに関係していたかもしれない。
人一倍元気な女の子であった奈々美は学校が終わると、地元の彼女お気に入りの場所を見せるために、もういい年になる男子高校生の今城を連れ回した。
見るもの何もかもが新しい、そんな何も知らない気弱な異邦人の登場によって、彼女の眠っていたうちなる教育本能が刺激され、彼女をつき動かしていたのかもしれない。
思い返すと奈々美はまだ小学生の頃、学校で飼っていたウサギやカメなどの小動物の世話を、一番熱心にやっていた生徒でもあった。
奈々美が見せたお気に入りの場所たちの中で、今城が最も印象に残っているのは、転校してきて初めての長い長い夏休みももう終わりに近づいてきた頃に、彼女に連れられて歩いた、肌寒く静かな港の一角。
しかし今城は何故自分がそこに執着するのかをすっかり忘れていた。
記憶としての思い出は、留まる事なく流れる時間の単なる一時点の事実となって、今や彼の手もとを離れていた。
ただ温度を持たない心象風景のように虚しく彼の身体に残っているだけだ。
夏なのに、あんなに太陽の日差しが差しているのにも関わらず、冷たい風が吹いていて、優しくて、物悲しい風景。
それは今城の意思に反して、いくらでも見ることはできるけれども、手を伸ばして触れることは決してできない。
そういうものになってしまっていたのだ。
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