物心がついた時

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小学の虐めは私の家が橋の下に家が有るため、バイ菌扱いみたいに「えんちょ、かぎ」とか橋の下とか言われたり、洋服などは姉の御下がりや貰い服など着てたから、又小学4年の時は男の子が、学校の帰り道であってしまい、追いかけてくるから私は道路に飛び出して車(埼玉スバル)に跳ねられてしまい、2週間の入院で、露骨にひびが入ってギブスで身体を固定去れてしまい、産まれて初めての入院で母は来たけど、家族がいるから付き添いは出来ず跳ねた人が頼んだ付き添いの叔母さんがついてくれたけど、知らない人だから不安でした、学校からは虐めの人達だから誰もきませんでした。でも病院で食事は一人でゆっくり食べれて、カレーライスが美味しいかった事が覚えていました。けがが良くなって退院したけど又虐めが始まり辛かった、母には何にも話せなかった、母は母なりに働いて働いて、父の暴力などで、大変なのに自分が虐めになっている何て言えないです。母が絶えて頑張っているのに自分も絶えるしか無いと考えてた。学校の虐め家は父の酒乱、暴力と時には父が母の頭に一升瓶で殴り救急車を呼ぶほどの大きな傷つけたりして、辛いのに何故別れないのか不思議でならなかった。長女も父に薪で頭を叩かれた事もありました、何で別れないのかある程度大人になってから理由がわかりました。
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