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〈2〉  何も考えられなかった。  掃除の行き届いていない公衆トイレの便座の上で、ただ呆けていた。  女に攫われた。  意味が分からない。  俺は昨日、同僚と二人で仕事場の近くの飲み屋に行った。焼酎で気持ち良く酔っていた。重労働の分、いつもの酒が数段美味く感じた。いつ眠ってしまってもおかしくない状況の中、朦朧とした意識に尿意を覚えた。  上戸の同僚は一緒に行くかと声を掛けてくれたが、それを無理に断ってふらつく足でトイレへと向かった。  そこで記憶は途切れていた。  トイレで用を足した記憶が無いのだ。記憶は、トイレの入口付近で綺麗に消えていた。  同僚は心配だったらしく、終始トイレの方へ視線を向けていたらしい。十分程経った後、どういう理由か俺は女に肩を担がれ、引き摺られるように店から出て行ったという。  同僚は大層驚いたらしい。だから、俺が去って行ったガラス戸から暫く目が離せなかったのだ。気が付いた時にはもう大分時間が経っており、急いで店を出てみても俺の姿はすでに無かったという。  当然のように携帯や自宅の電話は繋がらない。飲み屋近辺を捜し回ってもやはり見付からない。何十回目かの留守電サービスの女性の声を聞いた後、やっと俺が電話に出たのだ。  時刻にして午前四時。  飲み屋に行った翌朝である。同僚は俺の身を案じ、夜通し電話を掛けてくれたのだ。  その時は、特に変わった様子は見受けられなかったそうだ。しかし、同僚が女の事を問い質しても俺の返答は首尾一貫せず全く要領を得ないため、昼休みを利用して俺を呼び出したという訳だった。  電話の内容さえも朧気にしか覚えていなかったため、今日改めて話を聞いてひっくり返る思いだった。
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