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 謎の女は、気が早いと思われるノースリーブのシルクワンピースを身に纏い、細身で色白。髪は腰に届く長さで、明るい茶色に染めていたらしい。  何せ遠くから見ただけだから、顔は見えなかったという。  ――女。  ありえない。  職場の社員は過度の染髪を禁止されている。姉の髪はセミロングだし、悲しいがな俺には彼女がいない。  同僚から話を聞かされた後、いくつかの可能性を挙げてみた。  まず、その女はトイレで倒れた俺にタクシーを呼んでくれた、とても思いやりのある善人だということ。  これだと、タクシーの中で眠ってしまい、電話にも気付かずに姿を消した事にも説明がつく。  しかし、この仮説には二点、問題がある。  俺は女に肩を担がれ、トイレから出て来たのだ。当然、男子便所から。  同僚がはっきりと目撃していたのだから間違いない。  さて、華奢な女性が男臭い夜中の飲み屋で、男子便所に倒れている名も知らぬ男をわざわざ介抱などするだろうか。  ――考えにくい。  そして、六十キロある体重を果たして支える事が出来るだろうか。  しかし、ありえない話では無い。ならば、この仮説は一旦保留だ。  次に、女がニューハーフだった場合。  それならば、季節外れのワンピースを着ていたり、男子便所に入るのも頷ける気がする。なんとなく優しげなイメージを勝手に抱いているから、こんな俺を助けてくれるのもありそうな話だ。  同僚に言うと、敢え無く一蹴された。  ワンピースから覗いた腕は、明らかに女性そのものの肉付き様だったらしい。  完全に同僚の私的観測なのだが。  だから、もう何も考えたくなかった。  女に攫われようが誰に攫われようが、自分の生活は何も変わっていない。財布の中身や貯金、自宅、仕事場、何ら異常は無い。  同僚の方が夢を見ていたのではないかと疑ってしまう。  何れにせよ、同僚の口から飛び出した奇怪な話は、事実が多少捩じ曲げられ、誇張されているのだろう。  ――無論俺をビビらせるために、だ。
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