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〈3〉
「可哀相だな」
走行中は一度も口を開かなかった田中が、自宅の前でそう呟いた。
「ああ、俺はこの所ずっと可哀相なんだ」
田中は可笑そうに肩を震わす。失礼極まりない態度に、真田は苛々しく噛み付いた。
「わかっていたなら、さっさと教えてくれれば良かったのに」
「そんな面白い事、みすみす逃してたまるか」
だから真田は、この男を友人とは呼びたくない。
やはり田中は、紙切れの中身を知っていたらしい。それなのにすました顔で、衰弱した真田に不安を煽る言葉を言い、笑いのネタにしていたのだ。
「不審に思うよ」
「ありがたいね」
――まったく、これだからいけない。
「送ってくれてどうもさんでした」
憎々しげに笑う男に一瞥をくれて、真田は車から降りた。
「あ、そうだ」
ある事に思い至り、真田は振り返る。
聞いておかなければならない事があったのだ。なにせ、自分には感じられない、未知のものだから。
「何ていうか、お前さ」
お前じゃわからん、と田中は口を尖らせる。
「ちょっと唐突なんだけれど」
「構わんよ。手前の生徒と逢引する以上に唐突な事はない」
相変わらず、この偏屈な教師は悪態ばかり吐く。
「例えばの話、お前に大好きな人がいたとする」
「いるよ。嫁がいるだろう?」
そう言って田中は、飽くまで病人であるはずの真田の頭を小突いた。
「その嫁さんが、大好きで堪らないとする」
どうして仮説なんだよ、と田中は再度、真田に手を伸ばした。
しかし真田は、その緩慢な動きをさらっと躱す。所詮、車の中からの攻撃なため、すぐに見切れた。
「大好きで仕方が無いんだけど、ある時ふと思う」
「太ったなあってか?」
「それはお前だろう」
いい加減、田中は車から降りて来そうな剣幕で真田を睨み付けた。
「冗談だよ。そう、ふっと思うんだ」
ふっとか、と田中は小馬鹿にした様に笑う。
真田はそれを無視し、言葉を続けた。
「憎い、嫌いだ。消えてほしい、てね」
どうせまた悪態でも吐きながら激しく反論するのだろう、と思ったが田中は意外な反応を見せた。
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