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〈2〉
「おい、今日も行かないか?」
人気の無い職員室で真田が帰り支度をしていると、同僚の田中に誘われた。
下戸なのを分かっていて、田中は頻繁に飲み屋へ連れて行きたがる。
「今日は飲まないぞ」
「勿論だ。また女に誘拐されたら、堪ったもんじゃないからな」
そう言って、田中は赤ら顔を尚紅潮させて笑った。
「顔色悪いですよぉ?」
向かいの席でカーディガンを羽織りながら、同僚の女が揶揄してきた。重たそうな黒髪がヘルメットのようである。
顔全体でしかめっ面を作って、真田は田中とともに職員室を後にした。
田中が懇意にしている飲み屋は、仕事場の裏に面した道を百メートル弱進み、小さな公園の手前で右折し、細い道を抜けた所にある。
外観は老朽化の激しい黒ずんだ木材で構成されており、辛うじて建っていられているといった印象だ。内装は凸凹したコンクリートの床に、汚れた部分を隠すかのように障子紙でつぎはぎしている脆そうな壁、至る所には薄く茶色い染みがついており、お品書きも霞んで読めたものでは無かった。
真田は店内に入るなり、トイレへと視線を這わせた。
ここのトイレは和式水洗で、男女別になっている。奥まった場所に位置しているため、客席からはカウンター越しにやっと見られる具合だ。
真田は昨夜田中が座っていたカウンターの、右端から二席目に腰を下ろした。
――トイレは。
見える。
僅かではあるが、主人が焼き物をしている肩越しに見えた。
トイレから出れば、そこには会計所があり、右側は店の出入り口だ。見えない事は無い、と言った方がしっくりくる。
主人が、注文もしていないのにジョッキを二つ、目の前に置いた。
「じゃあ、飲みましょうか」
赤ら顔は、瞳を輝かせて泡が溢れそうなジョッキを小高く持ち上げた。
真田は控え目にジョッキを持ち、黄金色の液体に口を付けた。
豪快に息を吐き出しながら、田中はウィンナーのような指で口元の泡を拭った。
「とりあえず今日は飲みまくるぞ」
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