地に潜む者②

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「えっとー……。心当たりが無いんですが」 「ほほぅ。あくまでシラを切るか」 コツ、コツ、と明子の靴音を立てる。 「お前、昨日の補習はどうした?」 眼鏡の奥で、鋭く目が光る。 「あー……えー……」 その眼光に射抜かれ、優一は身動きが取れない。 「それはなぁ?みなさん」 助けを求めたが、三人は船を出してくれないらしい。 各々別の方向を向いている。同じく補習を仰せ遣った千歳すらも。 「ちょっ、薄情者!!」 「私はお前に聞いているんだ」 明子はうろたえる優一の襟元を引っ掴み、鼻と鼻がつきそうな距離にまで近付けた。 「いいか?夏休みの補習が嫌だったら、今すぐ裏山に向かえ。そしてマンドラゴラを採ってこい」 「うっ……」 息苦しさを感じているのは、襟を掴まれいるからだけではないだろう。 明子の目の奥に光る、殺意にも似たようなもの。 優一はすっかり気圧されていた。 「分かったな?」 一言一言を区切るように言った。 これは要請ではない。 命令だ。 「……はい」 そう答えるしかなかった。 他の回答をしようものなら、問答無用で殺される。 優一はそう感じた。 「分かればよろしい」 明子はにっこりと笑って手を離した。 「昨日何があったかは知らんが、それとこれとは話が別だ。じゃあ頑張れよ」 そう言い残すと、明子はきびすを返して歩いていった。 「おっかない人だ……」 その後ろ姿を見送りながら、稔がぽつりと呟く。 「な、なぜ私には言わなかったんでしょう?」 千歳もほっとした様子で答えた。しかしその顔には、夜叉でも見たような表情が張り付いていた。 「ちょっと優一。大丈夫?」 操が優一の袖を引っ張る。 「死の恐怖ってのは、きっとあんな感じなんだろうな」 ため息交じりに言う。 魂の抜けたような顔をしているが、どうやら寸前で手繰り寄せたらしい。 「あの人には逆らえないわ……」 優一は認識を改めざるを得なかった。 補習の苦労と明子の恐怖。それらを天秤にかける行為は、無意味を通り越して失礼に値する。 「仕方ない。さっさと済ませちまおう」 昨日の疲れも残っているが、場合によっては疲れることは未来永劫無くなってしまう。 優一は行くしかなかった。 平穏な将来の為に。
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