90797人が本棚に入れています
本棚に追加
飛翔する空気の球体が魚の群れを裂く。その様は、かつて大海原を二つに切り裂いたモーセのよう。
地上という楽園を目指して、球体はひたすら飛翔する。
突撃を仕掛ける魚たちはことごとく破砕される。大きいものから小さいものまで。何一つ、例外なく。
『あはははは!やっと本気を出したわね!』
ウンディーネは心底愉快そうだった。手下を打ち砕かれている今でさえ、声高らかに笑っている。
自分の手の平で踊る愚かな生物を眺めるのは、何にも変えがたい快感だった。
『じゃあ、これはどうかしら?』
ふと、球体を取り巻く魚たちの姿が消えた。水を操るエーテルを解いたのだ。
その代わり、水面付近にエーテルを集める。
途端、水が怒濤の如く運動を始めた。
『うふふ。完成』
縦渦を巻き、横渦を巻き、出来上がったのは、巨大なジンベエザメ。体が透き通っていること以外は、本物のそれと何ら変わりはない。
『そぉれ!行きなさい!』
ジンベエザメがゆっくりと下を向く。そして、体をしならせるようにして勢いをつけ、その巨体に似合わぬ加速を見せた。
その先に見据えるは、飛翔を続ける球体。
仲間を散々葬った人間を飲み込まんと、重たい扉のような大口を解放する。
『あはは!どう切り抜けるのかしら!!』
衝突の刹那。
球体の中の小柄な少女は顔を背けた。
背の高い少年は目を瞑った。
もう一人の少女は眼前の背中を見つめていた。
見つめられた少年は、球体を一気に加速させた。
――ドン
水中機雷が爆発するような、鈍い音。ジンベエザメの頭の辺りが大きく膨らんだ。
その爆発は勢いを増して上昇していく。
胸ヒレ、腹、背中の後方。
最後に尾ヒレでの付け根で爆発すると、その中から飲み込まれた空気の球体が現われた。
『……へぇ。なかなかやるじゃない』
ウンディーネは、水面から飛び出す球体をただただ見送っていた。崩れ落ちるジンベエザメを回復させることもなく、他の魚を作り出すこともなく。
『待ってなさい。あなた達は、絶対に逃がしてあげないんだから』
誰も居なくなった水の中。
ウンディーネの声だけがたゆたっていた。
最初のコメントを投稿しよう!