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「もしもーし」
『あ、おはようございます。私です。千歳です』
下の名前で名乗られて一瞬誰だか分からなかったが、柔らかい声質からとりあえずは特定出来た。
「ん?立花さん?」
『はい。そうですよ』
電話の主は意外な人物だった。
『今、お時間いいですか?』
千歳から電話が掛かってくるのは多分初めてである。普段は稔と仲の良い彼女が、折り入って自分に電話を掛けてきた。
何か思い悩んでいることがあるのだろうか。
優一は干したばかりの布団に背中を預けた。
「相談ごと?金と勉強のことは勘弁してね」
『いえいえ。そうではなくて……』
と言ったものの、あとの言葉が出てこない。電話の向こうからは深呼吸しているような音や、呪文でも唱えているような小さな声が聞こえてくるばかりである。
よほど言いにくいことなのだろうか。
早くしろと急かすほど優一は無粋な人間ではない。
言ってくれる時が来るまで待つことにした。
(……ん?)
ふと、鼻にむず痒い感覚が走った。
考えてみればここは屋外。日が照っているとはいえ、存分に寒いのは事実である。
むず痒い感覚はしばらくのあいだ鼻の中を蹂躙し、優一の我慢が限界に達するのと同時に――
『あ、あの!』
「っくし!!」
――くしゃみとなって外に飛び出した。
千歳が喋り始めるのと、同時に。
『……』
「あー……。ごめん」
携帯電話を介して、微妙な空気が二人のあいだを行き来する。
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