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この家で過ごすのも、今夜で最後。感情を伴わない無味な涙がほほを伝う。
枝折戸のきしむ音が聞こえた。かつてはこの音を待ち望んでいたこともあった。与えられているものが生活の保証だけでなくぬくもりも、求められているものが肉体だけでなく安らぎもあると信じ、自分に酔っていた。
あの人が家族の話をするたびに嫉妬を感じていたのもそんな理由からだったのかもしれない。
「つや子、今日で最後だな…」
しわがれた声が背中越しに聞こえ、私は抱き寄せられた。何ヶ月かぶりに触れられた私は、黙って薄い月を眺めていた。彼の老いの兆しが見え始めた髪をなで、かつては若さに漲りたくましくあったであろう胸にもたれる。
「私のこと好きだった?」
節くれだった指が、返事のかわりに動き、私は組み敷かれる。
濃密になった空気の中で、愛に似たものが張り詰めては弛み、張り詰めては弛んでゆく。 私を覆いつくす影はゆらゆらと残像を残し、体温のあがらぬ私の肌にその色を落としてゆく。
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