ある犬の話

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深夜になると子犬から遠吠えを始めるんだ。 気が付くといい歳こいた爺さんまで鳴き出してた。 金属に囲まれた檻はよく共鳴して悲しく振るえるんだ。 けど、俺は鳴かなかった。堪えることが懺悔だと思ったんだ。図に乗り過ぎてた。勝手放題やって、今更ダンナに合わす顔がねえ。俺はひっそりとくたばるんだ。そう思ったんだよ。   当然夜は眠れなかった。 小さかった頃なんざを思い出してたな。  俺がまだ家に来たばかりの頃、ダンナが浮かれててさあ、早朝のスーパーの駐車場で、置いてあったショッピングカートに俺を乗せてゲラゲラ笑いながら走ってたりしてたことさ。そんな何気ない日常ばかりが浮かび上がるんだよな。それはもう切なかった。思い出さない方がましなくらいさ。   死ぬのは構わない、けどやっぱり最後に、ダンナに一言お別れと、感謝の言葉を言わして欲しかった。   次の日、みんなと一緒に部屋が移されたんだ。日に日にガス室に近づくのなんて、火を見るより明らかだった。       その時、ダンナが蒼白な顔で廊下にやって来て檻の中を覗き込んだ。 あの目は忘れねえよ。目に涙を一杯に溜めてよ、何一つ見落とすもんかって決意の目だ。 お互い瞬きさえしなかった。
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