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紅い点々の上に、また点々が附いた。其れは、ただでさえ黒いアスファルトを、更に濃く染めてゆく。空気は湿気を増し、路地は全く人間の気配を醸し出さない。廃墟の工場がある、細い路地。少し行くと、色褪せ破れ、錆びた鉄骨が見え隠れする天幕、ブリキの板に書かれた、読めない看板の文字を掲げる小さな商店たちがあり、一昔前は栄えていたであろう町並みが伺える。現在、居座る生物と云えば、爬虫類やら何やら虫たちくらいであろう。
よく此処で見つける事ができましたね、私を。
意外と早く見つかってしまった為に、此のような騒動となってしまったのだろう。最も、其の頃には生の字は抜けていたが。
物と化した今でも、本来逝くと考えられる『天』から降る水滴によって、冷えた空気を肌寒く感じる。移動すべきか、此処に居座るべきか。此の状態に馴れない戸惑いと、新たな孤独の心地良さと。興奮を隠せない人間のそわそわした挙動不振さは、なかなか面白いものだな、と我ながら思う。
私だけか?
生と云う盛大な行事を終えた者皆、こうなるのであろうか。他の人間とあまりにも違い過ぎると、価値観をどうも理解できずに居るのだが、ひそかに気になってしまうのだ。何たる矛盾。其れが内部で葛藤し、毎度毎度チクチクと攻撃をしてくるのだ。
同調したい。厭だ。同調したい。出来ない。
痛みは労力を使うだけである。やはり孤独は、私的感覚で云えば心地良いものである。
何時か読んだ何処ぞの書によれば、現在の私は見えない物。仮令、街中を歩き回ったとしても、こちらを向く者は一人も居ない筈だ。現在の私は、首筋に鳥肌が立つような、ふつふつと沸き上がる好奇心を覚えている。外に出るなど、意識した覚えが無い欲求。篭る欲求の塊は、知らず知らず蓄積し、飽和していたのかもしれない。現に今は外であるが、生の時代でも此の考えに到り、部屋を出たのかもしれない。又は飽和した物をどうにも出来ず、自ら己の放棄に到ったか。死の直前の朦朧とした意識の中での思考は、記憶として現在に残らない程曖昧なものだったのだろう。
さて。そろそろ飽きが出てきた。此処に居て見える物は廃墟しかない。
しかし特に行きたいと思えるような場所も無ければ、外と云う空間に何があるのかさえ知らない。
取り敢えずあの部屋へ戻ってみようかしら。
あの部屋なら、どの状態の私でも受け入れてくれるだろう。
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