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蜻蛉(カゲロウ)は喜田宿で、必ず西向きの角部屋を取る。宿の方でもそれを心得ていて、男が来る日には必ずその部屋を用意した。
西の角部屋は街道に面し、人の往来がよく見えた。斜向かいは古びた酒場で、夜には商人達がどんちゃん騒ぎをする。
「そんなに見ているくらいなら、一度遊びに行ったらよろしいのに」
酒盛りの女が笑うほど、蜻蛉は飽きもせず、窓際に座って酒場の明かりを見ながら酒を飲み続けている。
女は蔦(ツタ)と言う。まだ二十になるかならぬかの年頃で、体躯の線は細いが、それでいてしっかり丸みを帯びていた。
「騒がしいのは」
苦手だと言うのだろう。蜻蛉はただ首を横に振って、杯を空けた。
食事はほんの少し取っただけで、後はひたすらに飲んでいる。飲んでは、煙管を噛む。
其の煙管などは銀製の凝った作りで、この交易の町でも滅多に見ない洒落物だった。
田舎臭さがなく、なんとなく気品がある。そんな男が少しだらしなく襟元を肌蹴、片膝を立てて杯を傾ける仕草が、不思議と様になっていた。
蔦が蜻蛉の相手をするのは初めてだったが、年上の女衆から噂だけはよく聞いていた。色好みの女などは、こうも言う。
「蜻蛉さん程、いい男はいないよ。偉ぶらないし、乱暴もしない。何より強いもの」
その「強い」が酒に強いの意味でないことくらい分かった。蔦も女だ。
蔦は身分は高くないが、割りと気位が高い。遊女のように簡単に男に抱かれるのは嫌だった。
だからきっちりと襟元を合わせ、帯もきつく締めて向き合った。
が、途中から、あの「強い」は酒の意味だったのかと思い始めた。蜻蛉、酒に滅法強い。
「まだ飲みます?」
蔦が聞く度、蜻蛉は外を眺めたままで、くつくつと喉の奥で低く哂(ワラ)った。そして空の杯をついと差し出す。
蔦は黙々と酒を注ぐだけであった。食事の後、特に何かを話すでもなく、つまみを取るでもなく、歌うでもなく、延々とこれが続くのである。
蔦の肌は愚か、着物の裾にすら触れていなかった。
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