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光さえ届かぬ山奥に、若い娘の力強い声と木を打つ乾いた音が響いていた。
藍染めに近い朝靄の色をした髪を高い所で一つに結び、拍子に合わせて目前の木をうち据える。娘の端正でキリリとした顔は泥と汗で台無しだった。
木に通った幾筋もの傷跡が彼女の日々の鍛錬を物語っている。彼女が手にした木刀が、また一つ傷跡を増やした。
――彼女の名を蒼(そう)という。
「どうしたんだ?朱(しゅ)……」
ふいに少女の木を打つ手が止まると、その場には静寂が訪れる。蒼が振り返った場所にはまた、いつの間にか一人の少女が立っていた。
「爺様から大切な話があるんだって」
朱と呼ばれた少女は神妙に眉を寄せたまま口元を微笑ませる。無理に笑っているのが蒼にもわかった。
この表情をする時の彼女は、大抵蒼を気遣っているのだ。
「師(せんせい)が?……良くない知らせなんだな」
棒を下ろし汗を拭うと蒼は朱を探るように見つめる。
夕焼けのように艶やかな紅色の瞳に自分が映ったのがわかった。
朱は綺麗な少女だ。
自分より一つ上ではあるが、とても同じ年頃には思えない程に妖艶で美しい。
長い睫毛は白く滑らかな頬に影を落とし、朝露に濡れた花弁のような唇からつむがれる言葉は唄のよう。
この朱こそ自分の一番の理解者であり、自分の片割れであった。
斈(がく)国北に位置するこの山にはひっそりと集落が存在していた。
血の繋がりのない孤児を集めて、幼い頃より暗殺術を叩き込むという恐ろしい組織。
その名を白羽隊と言う。
その名は三国に知れ渡る恐怖の代名詞とまで言われていた。
“白羽の矢が立つ”
逃れることの出来ない恐怖を意味する言葉から生まれたその名は決して大袈裟なものではない。
そこで生まれ育ったこの二人の少女もまた“普通”ではなかった。
そんな中
共に生きてきた一対は
互いにここ……闇世界(特別暗殺部隊)での唯一の救い。
今その片割れを
少女達は
互いに失おうとしていた。
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