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【蒼空】
数年前、いや物心ついたころから蒼(ソウ)はこの時に脅えていた。下げたままの顔には汗が滲み、地を押す手は震える。
――とっくに覚悟は出来ていたつもりだった。
ここは大陸一の特別暗殺部隊。脱退をする為には越えねばならぬ任務がある。
死と隣り合わせのそれは十五に達したばかりの少女には重過ぎるものであった。
「そなたの使命は国王の第一公主である香凛(コウリン)様を装い、代わりに東の大国【峯/ホウ】の新王に嫁ぐこと。
定期的に情報を流し、時を見計らって新王を暗殺することじゃ」
頭上に降ってきた命令。
その内容に蒼空は驚いた。今まで受けた任務とは桁が違う。規模の大きさに目眩を覚える程。
暗殺特殊部隊で育てられた以上、まともな死に方は出来そうにないとは思っていたが……まさか国を揺るがす任につくとは思ってもみなかった。
朝靄の空に近い藍色の瞳を見開き、そして下を向く。丸くはないが比較的大きな目が、憂いを帯びて閉じられた。
それほどに【蒼】は力をつけてしまったのだ。
【蒼】と【朱】は
容姿、戦闘能力に長ける男女を無理に交わらせて出来た【最高作品】だという。
優れた戦闘機としての扱いを幼い頃よりされてきた。
二人はどこまでも
【作品】であり
【ヒト】ではなかった。
ヒトと認めるのは互いのみ。二人の世界は互いのみであった。
その生まれてから時を同じくしてきた二人が離れることとなって最初で最後の任務……
【蒼空】に与えられた任務がこれだった。
「私はもう蒼ではない。蒼空であり……香凛である」
自らに言い聞かせ立ち上がり見上げた空は東。
高い位置で結んだ長い髪を風に揺らがせ、後ろを振り向かない凛とした瞳。
……迷いや影、絶望はなく、少しの寂しさがたゆたっているのみだった。
任を受けた次の日、蒼空は朱空と言葉を交わすこともなく斈国王都に旅立った。
これが【蒼空】の生き方――。
別れた道の片側である。
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