或る藝術家

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警察官が来ていたが、其の中の誰もうろたえて居やしなかつた。 その貧しい内装の部屋には胸をナイフで貫いた一体の骸(いたい)が横たわつており、にも関わらず若者の甘い香水(パフューム)の香りが充満していた。 それは異様な光景である。   紗(うすぎぬ)の仏蘭西(ガリア)服を来た白い肌の若者は、懸命に、しかし頭の足りない者特有の口調で、自分の無罪たることを説いていた。   警察官は、誰もあなたを疑ッちゃあいないと若者をたしなめたが、若者は目の前に転がっているのが、昨晩に限り自分の情夫だつた者だという事実と、横で自分の肩を抱いているのが自分のいつもの情夫だという事実と、とにかく気を動転させるには充分な要因が重なりすぎていて、何事とも言えなかつた。 ただ、違うンです、違うンです、とひたすらそれだけ喋つて居た。     事の発端は、こうである。
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