邂逅の午後二時半

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…太平洋の見える国道沿いのそのビジネスホテルの一室では、一昨日から腐臭がしていたが、その部屋のドアを空けるものが誰もないので、まだ誰もさほど異常を感じてはいなかった。 客のこない静かなホテルは、国道を行き来する若いクルマたちのセックスに埋もれて、静かに死のうとしていたのかもしれない。 ふたつのベッドが部屋にはあった。ひとつはよくあるベージュのカバーをつけた毛布と白いシーツがかけてあるもので、ほとんど乱れていない毛布のなかには男がひとり静かに横たわっていた。 壁ぎわに置かれたもうひとつのベッドは、形こそ窓際のものと同じだったが、ラブホテルでもなければありえない派手な紅色で全体が統一され、その色はところどころベッドの下のカーペットにまで及び、また、ところどころはまだ濡れているようだった。 どこからか入ってくるおびただしい数の虫たちが部屋を飛び回り、赤いベッドの上に置かれた、表面の渇きはじめた肉塊に群がっていた。腐りはじめ生前の形を徐々に崩しはじめていたが、露出しかかっている滑らかに白い骨と腱が、それのかつての役割、指、掌、手首、肘、腕、腿、膝、脛、踵、指、を示していた。ちょうどひとりの人間から切り離されたような四本の細長いそれらは既に、人間の体というのではない生肉だった。 バスルームからは絶え間のない呻きが流れていた。現実感のないその音が、彼女の快感の奔流だった。 バスタブのなかに彼女はいた。胴体だけのトルソ。両腕と両腿にはきつく止血を施され、その切断面のある部分からは今も少しづつ血が滲みつづけ、バスタブを汚していた。またある部分は既に渇き、どちらにせよ、その周りでは大量の虫がうごめいていた。だがその虫や何かの脚や触角、羽、そういったもののざわめく感触が彼女には、優しい恋人の愛ある丁寧な愛撫と思えるのだった。 きつく結ばれた黒い目隠し、さらには口枷をはめられて、しかしその下からでもわかる歓喜を彼女は涎とともに発散していた。 呻き声は次第に大きくなっていた。そして彼女の感情は彼女の人生、というより、人類史における最高潮の高まりへ達しようとしていた。
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