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「は?」真治がきょとんとした顔をする。
「何で俺がお前の故郷なん――」
「それはな……」真治の話を無視し、道夫は事情を説明し始めた。
道夫の故郷である美海部(みあま)村に住む道夫の両親は小さな宿をやっているそうだ。所が、道夫の父親が風邪で体調を崩してしまったという。
不幸というのは重なり易いようで、ちょうど二人の従業員が休暇を取っている最中だった。他に宿に残っているのは道夫の母親と数人の従業員のみで、とてもそれで営業が持続できるとは思えない。
場所が田舎だけに若者などの人手も足りない。どうしても男である道夫の手が必要なのだと頼まれた。そこで道夫は有給休暇を取り、真治ら家族を連れて故郷に帰省することに決めたらしい。
そんなわけで、真治らは明朝には電車に乗って道夫の故郷である「美海部村」に向かわなければならない。
「そんなもの、やってられるか」真治は目を三角にし、意地でも行く気がないことをアピールする。
「言うことを聞くって言ったよな?」道夫の頬が緩んでいる。
「確かに言ったけど……」真治がぼやくように小声で言う。しまった、と思っていた。
「男に二言はなしにしてくれよ? お前、男だろ?」道夫の言葉に、真治は完全に黙り込んでしまう。選択の余地を完全に摘まれてしまった。
「それじゃあ、朝早いから、さっさと身支度を済ませてくれよ」口元を若干弛緩させながら言うと、道夫は部屋を去っていった。父親が病床に臥している人間の様子にはとても見えなかった。
法子はまだ部屋に残り、こちらを見つめている。真治ではなく間近にあるヒメヒオウギに目線がいっているようだ。「その花、どうしたの?」
「今日買った」顔を背けながら真治は素っ気なく答える。
「あんた、そういう趣味あったっけ?」
「今日から趣味になった」
「女の子にでも貰ったの?」法子は淡々と訊いてくる。
「いや」真治は濁ませながら答える。
「ヒメヒオウギの花言葉、知ってる?」
「いや」
「あんた、よく買ったわね」
「なんとなく、気に入ったんだ」
それ以上のことは訊かず、法子も部屋を出ていった。去り際に「美海部村、案外良いことあるかも知れないわよ」と意味ありげなことを言ってきた。
「『良い知らせ』、よ」
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