小さな終わり

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「あ、いきなりすみません。そこは私の席なので、ひとまず座って下さい」  そう言って女性は空席に座った。言われるままに真治も女性の向かいの席に腰を下ろした。椅子が先程よりもずっと固く感じた。 「美海部は田んぼだらけで嫌になりませんか?」黒髪の女性が優しく柔和な口調で訊いてくる。 「は、はい」真治は小さな声で答える。 「みんなそう言うんです。でも、私は結構好きなんですけどね、こういう風景」窓の外をずっと見つめながら黒髪の女性は言う。  真治はそんな黒髪の女性をじろじろと観察する。真っ直ぐに垂らした黒髪。胸元まであり長過ぎるのではないかと思う程だが、この女性の場合だとそれが様になっている。おそらく彼女は茶髪にして変にいじるよりも、黒髪でありのままにしている方が似合うタイプなのだろう。  鮮やかな赤い唇に目がいく。色合いも去ることながら潤い具合がやたらと気になる。メイクもナチュラルにこなしており、素顔を前面に出している感じがある。  本物の美人とは彼女のような女性を言うのかも知れない。頬を紅潮させながら真治は思った。 「あ、すみません。一方的に話してしまって」黒髪の女性は申し訳なさそうに頭を下げる。その際に艶のあるしなやかな黒髪が細かくふわりと舞い、女性の小さな肩に落ち着いた。  それが気になってしまい、女性の言葉があまり頭に入ってこなかった。ひとまず「別に良いですよ」と臨機応変な返事をしておく。  黒髪の女性が頭を持ち上げる。さらさらとした黒髪から散布されるレモンの微香が真治の鼻を刺激する。  真治は黒髪の女性の側にいることに内心喜んでいたが、自分と女性が全くの赤の他人であることが気になった。そもそも、何故この女性が話し掛けてきたのだろうか。  しかし、真治には法子と道夫のいる席には戻りたくない気持ちもあった。頭の中で二つを一生懸命に比べてみる。  見知らぬ美人と見知り過ぎな道夫。どちらが危険だろうか? 真治が答えを出すのに差して時間は要らなかった。  決まっている。見知らぬ美人の側にいよう。
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