37杯目 おいかける

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 11:05。  バス停に1台のバスが停車している。列を作っていた者達は次々に車内へと乗り込んで行く。律子が少し重そうにキャリーバックを持ち上げて、ゆっくり車内に入った。その後に続いて智弘が車内に足を踏み入れる。  美月はコンクリートの上に置いていた鞄を肩に掛けなおすと、一度視線を下に向けて、重たい息をついた後、ゆっくりと右足を車内の入り口にある段差に乗せた。 「美月ちゃん? どうかした?」 「え、あ、いえ。なんでもないです」  智弘の問いかけに美月は、にこりと笑いかけると溜息をついて、左足の踵を地面から離そうとした。ゆっくりと身体がバスの車内に吸い込まれるように入っていく。  左足が地面から離れる。  その瞬間。  美月の身体が後ろに、ぐらりと傾いた。  後ろへと強い力で引かれる。  強く握られた右腕。後ろに倒れた美月を受け止めたのは、硬いコンクリートではなく温かい何か。美月は目を大きく見開いた。美月の前に立っていた智弘や律子も突然のことに呆然としている。 「お客さん、乗るの? 乗らないの?」  出発時刻が過ぎているためか、バスの運転手は少し苛立った声をかける。美月がその声に答える前に、耳の後ろから声が聞こえた。 「乗りません。行ってください」  少し低い声。呼吸が乱れているせいで、言葉の調子が途切れる。運転手はその言葉を信じて、バスのドアを閉めた。透明なガラスの向こうで智弘が何かを言っている。予定時刻を過ぎたバスは、次の時間に遅れないように勢いよく発進して道路を進んで行った。
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