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「…名を覚えてくれているとは。いやはや、実に光栄だ」
名を知られている事に多少の喜びを感じたのか、"フォーカス"と呼ばれた空人は口元に生じた弧を更に深いものにする。
この世界において名を知られているという事は、それに応じた多大なる力を持っているという事になるからだ。
時に裏社会で生きる者はその知名度を気にすることもある。
このフォーカスもその一人だ。
「俺達は敵の情報を全て覚えさせられているだけなのさ。そいつの名前、使用武器、所属部隊──。俺の記憶の片隅にアンタが居た…それだけだ」
海斗はとある人物の計らいにより、裏社会における名の知れた者達の全てを強制的に覚えさせられていた。
容姿に始まりその性格や攻撃性、その者の日課のように要らない情報もである。
ほんの一瞬あの時の苦労と無理矢理覚えさせた奴への怒りが込み上げ顔を引きつらせた海斗だが、不敵に笑うフォーカスに対するよう彼もまた不敵な笑みをその顔に浮かべた。
「かかれ!幾ら奴が"虎"と恐れられていても、この多勢に勝てる訳はない!」
フォーカスが剣を抜き放ち、その切っ先を真っ直ぐ海斗に向け高らかに叫ぶ。
それを合図とした彼の部下達は、己が獲物を海斗に向かって振りかざし、我先にと言わんばかりの勢いで海斗に立ち向かう。
余りに直線的で、余りに無謀であろうフォーカスの作戦に、海斗はゲンナリしたように溜め息を吐く。
「……アンタら、俺を誰だと思ってんだ?」
「んなもん知ってらぁ!!真選組が鬼副長の補佐、"黒虎の海斗"だろぉが!!」
「ビビって動けねえのか?なら、大人しく死ねやァ!!!」
この多勢を前にしての溜め息が気に入らないのか、部下の一人が曲刀を振り上げつつも声を荒げて答える。
危険が迫っているにも関わらず、海斗には怯えも恐怖も焦りすらも浮かばせない。
その事が余計に怒りを買ったらしく、部下達は怒りとも憤りともとれる雄叫びを上げながら海斗に向かう。
──だが、彼らを見据える瞳が酷く冷たい赤色を帯びていることに、彼らは気がつかなかった。
「…知らねぇならそれでいい。冥土の土産に覚えときな」
刀の柄を握り直して脇構えの形を取ると、海斗はニヤリと擬音がつくのが一番似合う笑みを浮かべた。
そして、数多くの刃が彼に振り下ろされたかと思った時、彼は地面を軽く蹴り、一陣の銀の風を吹かせたのである。
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