6609人が本棚に入れています
本棚に追加
/427ページ
彼がまた急にあたしの手をつかんだ。
「な、何?って言うか、あなた誰っ?」
あたしの質問はまるで無視で、彼が走り出す。あたしの手を握ったまま。
それが走るスピードが、えらく速い。馬鹿みたいに速い。半端じゃなく速い。
「転ぶっ!転んじゃうってば…ねぇ、聞いてるっ?」
聞いていない。完全に聞いていない。それどころか走りながら時計なんか見ている。時計と言うか、あれは…
(ストップウォッチ?)
陸上部の新手の勧誘だろうか。だとしたらお断り申し上げたい。スポーツは苦手な方ではないけれど、陸上部に入るほど自信もない。こういうのは早めに断るべきだ。
「あ、あの…っ!陸上、部…ならっ」
と言っても、それこそ短距離走なみの豪速で駆け抜けているから、声を出すのも大変だ。ちょっと油断したら、足がもつれて転んでしまいそう。
それなのに、あたしの手を引っ張る彼は、まるで息も切らす様子もなく答えた。
「やだなぁ、陸上部なんかじゃありませんよ。付いてくれば分かります」
にっこり笑う。色々と言うべきことがあるけれど、走りながらでは言い返せない。それに可愛い顔でにっこりはズルイ。
「大変だ、急がなくちゃ!アリス、もっと速く走って下さい!遅刻しそうだ」
ぐん、と手を一段と強く引っ張られた。どんなに頑張っても、これ以上速くは走れない。
(って言うか、アリスって誰?)
アリス、と呼び掛けられた気がする。あたしの名前はアリスじゃない。ただの人違いだとしたら、いい迷惑だ。
「もう着きますよ」
彼がちらりと振り返った。相変わらず平然としているのに驚かされる。こっちはもう酸欠になりそうだ。
やがてたどり着いたのはクラブハウスで、部室がずらりと並んでいる。一階の長い廊下を突っ切った。いくつもの扉を通り過ぎて、一番奥の扉を彼が開けた。
「ちょ、と…待って、」
一体なんの部屋かと聞こうとしたけれど、息が切れてそれどころじゃない。
「さぁ、入って下さい、アリス」
彼に手を引っ張られ、あたしは部屋の中に入ってしまった。
思えばこれが運のつき。あたしの高校生活を決めたと言っていい。
足のやたら速い、ストップウォッチを持った白うさぎに、あたしは騙されたのだ。
最初のコメントを投稿しよう!