361人が本棚に入れています
本棚に追加
/90ページ
名前を聞いたこと以外、どのように話しかけたのかは覚えていない。
というのは、昔の記憶であることもあるが、何よりそれが音として残らなかったからだ。
彼女にも、そして俺にも少ないながら文字があった。その時、俺は無理矢理させられていた勉強に初めて感謝した。
食い扶持を減らすために子を売るような家にいた彼女が、どうして文字があったのかはわからない。わからないが、それがあったから俺と彼女は繋がったのだ。
その、三日後。雨が降った時。俺は、彼女が雨の日は外に出ないことを知った。親が、出さなかったのであろうとは思った。また、そうであってほしいと思った。
雨が降る。それは、弱ければ弱いほどいいのだ。強ければ、淵は澱み、渦を生む。
そんな姿をした川を、彼女は見たことがあっただろうか。
さすがに十年以上も経った今も、生きているのなら目にしたことはあるだろう。しかしあの時の俺は、彼女に怖さを、悲しみを与えるものは要らなかった。知る必要も、なかった。
みね。
お前は今、どこにいる。
最初のコメントを投稿しよう!