プロローグ

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   ピッピピッピッ…。  アラーム音が鳴るのをしばらく見ていた。    午前7時30分。  眠れないまま朝を迎えた。だが睡魔は不思議となかった。狭い車内のせいで眠れなかったのではなく、何とも言えぬ興奮が体中をずっと駆け巡っていた。    昨日買ったガムを一枚取り出して唇にはさむ。財布がどこに行ったかと少し慌てたが、すぐに見つけ全財産を確認する。黒革の中身は薄い札束と小銭、そしてレシート数枚と免許証。    高橋 明と印字されたその免許証は何度見直してもやはり先月の誕生日で更新期限が過ぎていた。    アキラは免許証の顔写真を見て複雑な気分になった。三年前に撮影したその写真の自分は自信に溢れている。鋭い目、少しすました口元。この写真の頃のアキラは、決して今のような状況になるなんて想像もしてなかった。(ふぅ…)とため息がでた。    免許証を財布の中に戻すと、ドアを開けて車外へ出た。    よく晴れた秋の朝であった。アキラは背伸びをしながら辺りを見回した。   住宅ではいそいそと洗濯物を干す主婦の姿。毎日がおそらくこれと言って特別な変化がないであろう老人は、日向ぼっこの準備をしていた。平凡な住宅街の風景。   アキラが空きスペースを見つけて無断で駐車しているこの駐車場にも、続々と車に乗り込む人がやって来た。    すぐ横の市道には通勤通学者が、ひっきりなしに流れていた。この地域でもそろそろ列を成す小学生たちが見れるのではないだろうか。    時計を見ると7時36分、なぜか時が経つのが遅い感覚があった。駐車場入口の販売機で缶コーヒーを二本買い再び車内に入った。    …コーヒーの苦味が胃の中に流れる。アキラが落ち着きを取り戻せる唯一の瞬間だったが、飲み干すまで時間は僅かであった。昨日から続く好運によって支配された熱は、人格を侵す麻薬のようにアキラの脳髄に充満していた。むしろ、好運が続くおかげで何も怖くなくなった。    すべて計画通りに進んでいる。    午前8時を過ぎた頃、予想したように小学生たちが列をつくって登校するようになった。    あとしばらくすれば、アイツもあの道を通るだろう。  多分、きっと…。  
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