第二章 純白の中の漆黒

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「なになになになに! 熱っっっ!」  ジョージは完全にパニックである。 「転移魔法陣だ。お前の背中に。厄介なもん仕込まれやがって」  仏頂面で答えたのは兄弟子の一人、長兄役のカラハリ・ローランだった。  背中で思い当たるのはあの時だ。背中に掌底を受けた時に魔法陣を描き込まれたか。  自分の背中から何かが生えてきたのが地面に映る影でわかった。松明の炎が揺れるのに合わせて影がうごめいた。 「先生!」  たまらずジョージは叫んだ。しかしパックは応じず、呪文を唱えながらキユリの胸元で複雑に指を振っている。彼の指先には淡い光が灯っていて、絶えず色が変わっていた。  背中の転移魔法陣から姿を現した黒いマントの男に対し、先陣を切ったのはレッド・ナスカだった。レッドの剣は正確にマントの男の首を狙った。しかし次の瞬間、彼の姿はたちまち消え失せ、かと思うと広場の西の方からけたたましい激突音が鳴り響き、へし折れた白烏の森の白い木々が次々と宙を舞っていた。  ジョージにははっきり見えていた。マントの男はレッドの剣・(さざなみ)の腹を指で撫でて軌道を逸らし、右手で構えた魔導砲をレッドの腹に押し当て零距離でぶっ放したのだ。  マントの男の前方からリー・ジョーダンとクルス・ウィック、後方からキッス・オラディア、ザメリア・オデッサの四人が同時に斬りかかる。マントの男は彼らを一顧だにせず、瞬時に展開した障壁で渾身の斬撃全てを防いでのけた。そして突風が吹き荒れたかと思うと四人のパック流剣士は四方に吹き飛ばされていた。 「次はお前か」  マントの男が次に対峙したのは、祠の前で鬼のような形相で仁王立ちしている男、 「ここは絶対に通さん」  低く唸った強面の剣士カラハリは、全幅の信頼を置く剣、水月(すいげつ)を上段に構えた。  地を蹴る。瞬時に接敵し、水月を真っすぐ振り降ろす。  カラハリ必殺の銀刃を、マントの男は左の手のひらで止めていた。マントの男が手元に展開した障壁により、剣は紙一枚届いていない。  カラハリは一旦剣を退き、少し間合いを取った。  再び剣を構える。カラハリの全身が淡い光に包まれた。  次に繰り出したのは目にも留まらぬ連続突きだった。水月が無数のきらめく残像と化す。  しかしマントの男は、その全てをかわし、いなし、弾いていた。立ち居振る舞いからは圧倒的な余裕を感じる。 「ジョージ! 加勢しろ!」  カラハリが吠え、ようやくジョージは我に返った。 「パックから剣を受け取れェ!」  そうだった。何のために先生は遥々グロイスまで行っていたんだ。  パックが右手をかざしているキユリの傷口からは、まるで花火のように紫色の光が飛び散っていた。通常の治癒呪文の発動光とは全く違う。一体何をやっているのかと聞きたかったが、とにかく今は自分のすべきことに専念しなければならない。 「先生! オレの……」  言い終える前に、パックは背後を顎でしゃくった。ドクンと心臓が脈打った。あるのか、オレの剣が。オレだけの剣が。  紫色の細長い包み。紐をほどいて現れたのは両刃の直刀だった。十字鍔の先はハオマハの花をモチーフにした装飾があしらわれている。  と、背後で低く鈍い音が響いた。  パンパンと手をはたくマントの男の足元には全身氷漬けにされたカラハリが転がっていた。水月の刀身は真っ二つに折れ、折れた刃はカラハリの左肩に突き刺さっている。  マントの男は顔を上げた。深いフードのせいで表情も視線も読めないのは相変わらずだ。 「また貴様か……まあ良い。これで最後だ」  抑揚のない声だったが、それがかえって脅威を醸し出していた。  マントの男は右腕を天にかかげた。五指をぴたりと揃えた手のひらから、それと同じ幅の白い光がまっすぐに伸びていく。魔法力を圧縮して形成した剣、魔法剣である。  耳鳴りがするほどの神速で振り下ろされた魔法剣。  ジョージは剣をひっつかむと、頭上数センチのところ、ぎりぎりで魔法剣を受け止めた。両手で剣を握り、全身の力を込めて魔法剣を押し返す。  しかし、鍔迫り合いに集中して無防備になったジョージの右脇腹を、マントの男の空いている左拳が食った。  息が止まりそうだった。剣は手からこぼれ落ち、吹き飛ばされたジョージは木組みの祠に激突した。  ジョージは祠を破壊した後、一度地面に大きくバウンドしてからごろごろと転がり、広場を囲う木の根元でようやく止まった。  ジョージが受けた攻撃はたった二発。それも攻撃自体は極めて単純だった。魔法剣による唐竹にただのパンチ。だからこそ力の差を思い知らされる。これほどに届かないのか……。立ち上がろうとするが、ジョージの四肢は空しく地面を掻くだけだった。  マントの男はもはやジョージなど眼中にない様子で崩れた祠へと迫る。崩れた木片をいくつか投げ捨て、やがて一つの球体を拾い上げた。青い靄のようなものが中で渦巻く美しい宝玉であった。  白烏の森。名前の由来は文字通り白い木々である。想像もつかないくらいの長い年月の末に力尽きた木も、生きる力に満ち溢れるみずみずしい若木も同じで、一歩森に踏み入れば年中消えることのない深緑の天井の下、目もくらむような一面の純白の光景が広がる。  純白の真っ只中で、漆黒をも塗りつぶすような黒いマントに身を包む男が宝玉を手に君臨していた。この場に立っている人間はもはや彼一人であった。  マントの男は、傷ついた少女を治療するために戦いに参加することすら叶わなかった男パック・オルタナを一瞥すると、音もなく飛び去っていった。 「……時間稼ぎ、もうちょっと頑張って欲しかったなぁ。お前ら割りと瞬殺だったじゃねぇか」  マントの男が去ったすぐあと、パックは立ち上がった。キユリの傷は痕もなく完全に塞がっている。 「あーあー、もう情けねぇな。カラハリなんか氷漬けだし」  割れないようにゆっくり溶かしてやらねぇと。何かの拍子に腕がバキンといっては洒落にならない。頭を掻くパックの足元に光の線が浮かび上がり、どんどんと外へと広がっていった。  光の線は模様や文字を形作りながら広場を覆い、白烏の森を覆い、やがてプレーリー村全てを覆うほどになった。  パックの鼻息が荒くなる。  光の線はついにキュベレ山全域を覆った。うっそうと茂るグランドウッドの木々、枝葉を光が伝番していく。  パックは自身が操る強大な魔力にものを言わせ、ついには山そのものに魔法陣を展開した。 「逃がさねぇよ」  パックはひじを張って勢いよく両手を合わせた。身体から魔法力が溢れる。  山が輝いた。
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