第二章 純白の中の漆黒

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 外はすっかり暗くなっていた。吹きすさぶ風が痛い。ジョージは毛皮の防寒着の襟元を閉めなおした。  学校は村の中心街、バース通りというメインストリートに面していた。整然とした石畳の通りが南北に約五百メートル伸びていて、両側に民家や店が並んでいる。裏手は畑になっていたり、木材の加工場になっていたり、あるいは特になにもない庭だったりと様々だ。北端は村長の家の門に突き当たり、村長宅のさらに北は白烏の森と呼ばれる未開の地が広がっていた。  学校は木造三階建てで、村で最も大きな建物だ。村の六歳から十五歳の子供たちがここで学ぶ。バース通りの南側の一画を占めていた。  夕方にはどこも店仕舞いをしてしまう。ジョージがクリスティーから解放された時にはとっくに日は暮れていて、もはや外に人の気配はなかった。通りに面した家々の窓からは明かりが漏れ、夕食のいい匂いがする。  急にお腹が空いてきた。  今日の夕食はどうしよう。そんなことを考えながら、そして右手にぶら下がっている問題用紙の束はなんとしてでも考えないようにしながら、ジョージは校門を出た。 「ジョージ!」  元気あふれる突然の声にはっと振り返ると、キユリが手を振っていた。 「遅かったねぇ、お疲れ様。……ちょっとどしたの。あんた死んだ魚みたいな目よ?」 「おう……。クリスティーは鬼だ。ペンは剣よりも強し、だ」 キユリはいまいち合点がいかなかったのか首をかしげた。 「それよりどうした。とっくに帰ったんじゃなかったのか」 「そうなんだけど村長さんに用事があって」  お母さんのお遣い、と首をすくめた。キユリの家はバース通りから歩いて一時間ほどの門前集落にある。一日に何度も往復するのはご遠慮願いたい距離だ。 「ニーニャおばさん、人使い荒いね」  ニーニャ・アールンクル。キユリの母親だ。外見的にも内面的にも、なんというか、貫禄のある人である。 「ついでにお母さんからジョージにも伝言」 「なに?」 「晩御飯、一緒のどう? って」 「さすがニーニャおばさん! 聖母だ!」  ジョージが諸手を挙げた拍子に紙束が足元にどんっと落ちた。 「なにそれ」 「あー……今はあんまり考えたくないかな」 「ん。分かった」  察しがよろしいことで。拝みたい気分になった。 「じゃ帰ろっか。もうお腹ぺこぺこ!」  ジョージの背中を叩いてキユリが言った。地獄の問題集をしっかり拾っていくあたり、さすが余計なことまで気が回る。しかしこっちが人より鍛えてると思って遠慮会釈なくバシバシしばいてくることについてはもう少し気を回して欲しいところだ。非力な女の子に叩かれたくらいで体が泳ぐようなジョージではない。とは言っても痛いものは痛いので、せめてもの抗議として拝みたい気分になったことは撤回した。  プレーリー村は、所詮は小さな村だ。バース通りを少しでも離れると民家はほとんどなくなる。バース通りから出てしばらくは耕作地の中を、さらに先に行くと野原の中を道が続いているだけだ。  春や夏であれば、みずみずしい緑や可憐な花を眺めながら歩くことになる。キユリは、春、バザラの月(四月)の頃に一斉に咲くハオマハという黄色い花が好きだった。腰くらいまでの長さになる茎の先に、まるで黄色い扇を開いたように小さな花がいくつも咲く。今はカーバンクルの月(一月)。まだ寂しい枯れ野でしかないが、春へ向けて生命力を蓄える時期なのだ。  二人はぼんやりとした白色光を放つ街灯を頼りに、夜道を歩いていた。街灯は魔法の力で発光している。木でできた細い柱の上にガラスの箱が固定されていて、中にこぶしくらいの大きさの石が入っている。石には照明呪文が封じこまれており、夜になると自動的に呪文が再生される仕組みである。 「村長になんの用があったんだ?」 道すがら、ふとジョージが尋ねた。 「うーん……」  キユリは困ったように苦笑いした。いつもあっけらかんとしているキユリがジョージにこういう表情を見せることはあまりない。 「いや、言えないことならいいんだ」  キユリはニーニャおばさんの用事だと言っていた。アールンクル家の内々の話だとしたら自分が出る幕はない。両親がいなくなってジョージ一人残されたあとはアールンクル家とは家族のように付き合ってきたが、あくまで自分は赤の他人であることをジョージは十分に承知している。 「言えないことじゃないんだけど……てか、そのうち、言うつもりなんだけど……」  キユリは歯切れの悪い口調で言った。 「ごめん。もうちょっと待ってて。そのうち絶対話すから」  最後の一言は自らに言い聞かせるかのようだった。 「お、おう。お前がそう言うなら……」  思ったより深刻な話かもしれない。聞かなければ良かった、とジョージは少し後悔した。  門前集落とバース通りのちょうど中間。学校を出て三十分ほど歩いたところに建つログハウスがジョージの家である。土地を選んだのはジョージの母サラだと聞いている。このあたりは特にハオマハの群生地だった。野原一面が黄色の絨毯、春のちょっとした勝景である。  村北部に広がる白烏の森から木を伐り出してログハウスが建てられたのは、父ラーラルド・パーキンソンとサラが結婚した直後、ジョージの生まれる二年前のことだった。このあたりの話はニーニャおばさんが教えてくれたことだ。 「荷物置いてくる」 「おいこれ。忘れんなっ」  キユリは問題用紙の束をジョージの胸に押し付けた。結局バース通りからずっとキユリが持っていた。 「……おう」 と受け取ったが、ジョージは紙束とキユリの顔を交互に見比べながら考えた。 「やっぱこれはキユリん家持っていこうかな」  ジョージはキユリの目の前で束をぶらぶらと揺らした。キユリは目を細めた。 「いや邪魔でしょ。意外と重いよ、それ」  重い物を女の子に持たせていたことにチクリと胸が痛んだが、この膨大な宿題を存在しないことにしていたんだから仕方ないと心の中で言い訳をした。その上で、 「手伝ってくれないかなー、なんて。キユリならこれスラスラ解けるだろ?」 「二年生のあたしに三年生の問題解けるわけないって言ったの誰でしたっけー?」 「お前、根に持つタイプなのな」 「そう。根に持つタイプなの」  キユリの眉がくいっと上がった。うぅむ旗色悪し。諦めようとした時、 「分かった。いいよ。あたしがちょちょいって解いて、ジョージがいかに馬鹿なのか思い知らせてあげる」  はにかみながら憎まれ口を叩いているが、つまり手伝ってくれるということらしかった。キユリはこういう奴なのだ。皮肉や厭味を存分に食らわせてくれながらも、なんだかんだジョージを助けてくれる。  キユリを街道に残し、ジョージは鞄を置くために小道に逸れた。ログハウスの玄関まで続く十メートルくらいの小道の両側には小さな畑がある。畑では春から夏にかけて、ろくに世話をしなくても育つような簡単で丈夫な野菜を育てているが、今は土がガチガチに凍り付いていた。 「あっ……」  息が漏れ出たようなかすかな声が聞こえた。ジョージが振り返るとキユリは空を見上げていた。釣られて視線が天を仰ぐ。  遥か上空を光の玉が流れ星のように尾を引きながら飛んでいた。東からこちらへ向かってくる。 「流れ星……じゃないよね多分」  流れ星が消える前に三回願い事を唱えることができれば願いが叶うという迷信がプレーリー村にはあるが、もしあの光の玉が本当に流れ星なら十個くらいは楽勝で叶いそうなくらい長く長く尾を引いている。 「先生かも」 「パックさん?」  心当たりがあった。パックはジョージのための新しい剣を作りに首都グロイスに行っている。もう二週間ほどになるだろうか。やっと完成して帰ってきたのかもしれない。  しかし、その予想は外れたのだとすぐにわかった。 「ねぇジョージ……」  キユリの声はかすれている。 「やばくない?」  視線を流れ星から振り切り、すでにジョージは走り出していた。視界の端で、尾を引く流れ星が少しも速度を落とすことなく地上に飛来してくる。  ジョージはキユリに覆いかぶさり、鞄をひっくり返した。ノート、教科書、小さくなった消しゴム、鼻をかんだ後のちり紙、真っ二つの鉛筆がいっぱい。これだ!  補習中に折ってしまった鉛筆四本を地面の四方に刺した。  その瞬間――。  流れ星が目の前の建物に直撃した。  今朝、いつものようにキユリに起こしてもらい一緒にご飯を食べたこの家が――顔も忘れた両親が遺してくれた家が、一瞬にして爆発に飲まれた。
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