734人が本棚に入れています
本棚に追加
「逃がすと思うか」
キユリを抱えて走り出した直後、右足を焼けるような激痛が貫いた。転倒したジョージは凍った地面に顔面をしたたかに打ち、キユリを放り出してしまった。
体を捻って敵を顧みると、マントの男はジョージに人差し指を向けたまま佇んでいた。あの指から放たれた高密度の魔法力の弾丸、魔弾丸がジョージの右足に風穴を開けたのだ。
視線を前方に戻す。キユリは仰向けに倒れ、ぐったりとして動かないが、胸が小さく上下しているから息はしている。打ち所が悪く気を失ったのかもしれない。
ジョージは懸命に腕を伸ばした。何度か地面をひっかいた末、指先がキユリの足先にぎりぎりで届いた。おい、と声をかけながら叩くが反応はなかった。
「その女、それほど大事か」
凍った土を踏みしめる音が近づいてくる。
「祠まで案内せよ。そうすれば、お前も、無論女にも手を出さぬ」
マントの男はジョージの傍らにひざまずくと、驚くほど優しく抱きかかえて仰向けに寝かせた。下から見上げる格好になったのに、やはりフードの中の顔は全く見えなかった。
「……なんで祠にこだわるんだ」
ジョージは絞り出すように言った。右足は不思議と痛みを感じなくなっていた。その代わり、ズボンが足に張り付き、ぬらぬらとした湿り気が不快だった
マントの男はジョージの眉間に人差し指を押し当てた。
「愚問だな」
顔が見えないというのはそれだけで不利だ。マントの男はどんな表情で指を、すなわち銃口を向けているのだろう。威嚇なのか、それとも平気で人を殺せるのか。
人差し指が眉間から離れた。次の瞬間、ジョージの左肩から血しぶきが上がる。捻じれるように体が跳ねた。
「うぐあ……」
体を丸めて痛みをこらえるジョージの顔面に再び人差し指が押し当てられた。
「理解できんな。お前たちパック流の剣士が祠を秘匿するのは、ただ師たるパック・オルタナの指示に従っているに過ぎぬはず。祠の意味や何が安置されているのかすら知らされぬまま、なぜそこまで頑なになれる?」
「……お前の言う通りだよ」
ジョージは歯を食いしばった。
「弟子になったときに先生が言ったんだ。己が技を以って自分を、人々を、村を、そして祠を守れ、って」
正確には「己が技を以って自分を、人々を、村を守れ。そして余裕があったらでいいから、ついでに祠も守ってくんねーかな。これすげー大事でさ」くらいのものだったが、弟子たちとってはそれで十分だった。
「先生が祠を守れと言った。十分理由になるだろ」
「大した師弟愛だ」
哀れみすら覚える、と続けたマントの男は銃口たる指先を再びジョージの眉間から外した。殺すつもりはないらしい。じわじわいたぶろうという腹だろう。次の標的は左足か、腕か――。
「それを人は思考停止と呼ぶ」
うめき声すら聞かせてやるものか。苦痛を漏らすことは敵の助長に繋がる。ジョージは地面をつかんで必死に身構えた。
しかし、そんな覚悟は一瞬で吹っ飛んだ。
「やめろおおおおおおぉぉぉぉ‼」
マントの男の指を叩き落とそうと躍りかかったジョージの右手は、すれすれのところで空を切った。
放たれた光弾。
「あ……」
目の前でキユリの身体がビクンと跳ねた。
ジョージは反射的に跳ね起き、しかし右足に力が入らず倒れかけたのを手をついてこらえ、右足を引きずりながらキユリに駆け寄った。背中に腕を回して抱き上げた。
「キユリ! おい、返事しろ、キユリ‼」
彼女の右胸がじわりと湿ってきて、ジョージの腕を滴った。
「急所は外した。直ちに死ぬことはない。が、放っておけばどうなるか、わかるな?」
マントの男の声は今までになく威圧的だった。
血の気を失っていくキユリの顔。頭の中がざわざわ鳴った。キユリとの思い出が一気にフラッシュバックしてきた。
「お前卵割るだろ」と買い物かごを半ばひったくると「そんなことないもん」と頬を膨らませたキユリ。
寒くて羽織ろうとした上着をどうやらキユリも借りて着ようと思っていたらしく、袖を掴んで懇願する潤んだ眼に負けた朝。「あたしが着ようと思ってたんだもん!」もん! とか言うな、もん! とか。かわい過ぎか。
学校行事で使う衣装を、自分の分もあるのに毎晩夜遅くまでかけて縫ってくれた。
犬が苦手で、散歩している犬に出くわすとジョージを盾にした。
キユリと一緒に試験勉強をしていた時のこと、夢の世界から目覚めるとノートにジョージの寝顔が描いてあった。
将来の夢を語ったこともある。キユリの夢は夫婦で夜空を見ながら「爺さんや、今日のお月さんはおせんべいみたいねぇ」と寄り添うことだそうだ。
積もったばかりでキラキラ輝く新雪に、足跡や大の字の人型をつけたこともある。
春になると、家をハオマハの黄色い花で飾った。
毎日のように一緒にご飯を食べた。
原っぱに寝転がって一緒に星空を見上げた。
あぁ。だめだなオレは――。
頑なな意志が音を立てて崩れていく。
「……祠に連れてってやる」
ジョージはついに折れた。約束や誓いは、大切な人の命の前でどれほどの価値がある。無価値で無力だ。プライドなんか命と天秤にかけたらはた迷惑な代物でしかない。
「頼む、キユリを治してくれ……」
「懸命な判断だ」
マントの男の声色からは、幾分か圧力が下がっていた。
下唇を噛むジョージの頭に、マントの男は手のひらを差し伸べた。
「祠の場所、祠への道順を思い浮かべよ。鮮明なほど早く治してやれる」
これでいいんだ、と言い聞かせる。命には代えられない。きっと先生も許してくれる。とにかくキユリは治る。傷は残ってしまうかもしれないな……。キユリは許してくれるだろうか。
頭に乗ったマントの男の手は、思ったよりも温かかった。もっと冷たい手をしているものだと勝手に想像していた。こんな卑劣なことをするくせに、マントの男も自分と同じ生きた人間だということを今更思い知らされた。
「む……」
マントの男は手を引っ込めた。次の瞬間、目を固くつぶってもまぶしさに眩むほどの強烈な雷光が走った。マントの男は腕を横に薙いで雷撃を弾いた。逸れた雷撃は地面を穿ち、煙がくすぶった。
さらに二本の雷撃。マントの男は腕を鞭のように振るい、左右に払いのけた。
マントの男からの反撃は許されなかった。彼の足元がミシッと軋んだかと思うと、身長の二倍はあろうかという鋭く尖った黒曜の刃が突き出てきた。マントを翻し、すんでのところでかわす。
黒曜の刃はのさらなる追撃。マントの男が避ける先に次々とそそり立つ。そうしていつの間にかマントの男とジョージの間には十分な距離が開いていた。
「遅くなった。もう大丈夫じゃ」
右足の傷口にごわごわした手が触れ、治癒呪文の淡い光が包み込んだ。
肩ががくっと落ちて初めて、自覚していたよりずっと気を張っていたことに気づいた。唇の隙間から「おせぇよ」と無声音が漏れたところで顔を上げる。
「オレはいい。キユリを早く!」
「ここでは処置できぬ」
は? なんで、と食ってかかる前に、
「魔弾丸に呪いが込められておったようじゃ。複雑な手順で治療する必要がある」
と先回りして制された。
綺麗に折り目のついた黒のスラックス、白のワイシャツに、黒い上着。白髪をオールバックにまとめ、こだわりの白いちょび髭。
ガッド・ペール。救援に現れたのはプレーリー村の村長だった。
次いでガッドはジョージの左肩に治癒呪文を施した。肩の痛みもみるみる引いていく。まもなく傷口は完全に塞がった。
―対物魔法障壁―
ガッドは素早く呪文を唱えた。三人をすりガラスのような魔法障壁が囲い、すぐに空気になじむように不可視となった。
―追加契約・対魔魔法障壁―
呪文をもう一つ。再び魔法でできた壁が浮かび上がった。今度は完全に透明には戻らず、わずかに曇って見えた。
「これも長くはもたん。手短に伝えるぞ」
村長はジョージに向き直った
「キユリちゃんを連れて祠に向かえ。黒いマントの男はわしが引き受ける。まずは……」
大雨が窓に打ち付けるような音で村長の言葉が遮られる。マントの男が放った数百の魔弾丸の弾幕が魔法障壁に襲い掛かったのだ。空気を読んで静かにして欲しいところだな、とガッドは苦笑いした。
「……まずは街道を走れ。近くに馬を隠してある。アーレンが疾風を貸してくれたのじゃ。お前たちを見つけたら疾風の方から迎えに来てくれるはずじゃ」
「祠に行ってどうする」
「パックがおる。お前の兄弟子たちも」
先生が祠にいる――。こみ上げてきたのは自分でも驚いたことに憤りだった。先生は知らない間にプレーリー村に帰っていた。それなのに先生は助けに来てはくれなかった。オレは祠を明かさないという約束を守ったのに! すんでのところで約束を破るところだったことは都合良く棚に上げる。
「そんな顔をするな」
ガッドは諭すように言った。
「後で事情は話す。今はキユリちゃんを救うことを考えるのじゃ」
最初のコメントを投稿しよう!