第三章 キュベレ山の戦い

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 目が覚めたことは何とか自覚した。しかし脳みそは「まだ寝ていたいの~!」と駄々をこね、二度寝に突入するか否かのはざまを彷徨っている。  駄々っ子の脳は実力行使に踏み切ったらしい。つまり強引に夢を見せ始めた。中途半端に現実が混ざった夢だった。  テストで奇跡のようなあり得ない高得点を取った。どのくらいあり得ないかというと百点満点のところ千五百点を取った。クリスティーはキャラ崩壊を(いと)わず狂喜乱舞し、この才能を伸ばしてやらねば教師の名が廃ると台車で持ち込むほどの大量の宿題を課した。  キユリと一緒に帰った。ハオマハの黄色い花が盛大に季節を勘違いして一面に咲き誇っていた。ご機嫌なキユリに宿題を手伝ってもらえることになった。  あっ、と流れ星を見つけたのはキユリだった。キユリは素早く願い事を唱える。何を願ったのかと聞くと、おばあちゃんになってもジョージと手を繋いで歩けますように、と照れながら答えた。一瞬で体が熱くなった。  流れ星がパカッと割れ、威圧的な声が響いた。 「それを人は惚気話と呼ぶ」  割れた流れ星の中から黒いマントの男が降臨した。戦いになったかと思うと、一方的に叩きのめされた。  そして……、  キユリ!!  ジョージは一気に覚醒した。自分の右腕は何かに追いすがるかのように天井に伸びている。  目が(しばたた)く。夢の出来事で現実でも体が動くことあるんだな、と叩き起こされて本調子ではない脳みそで考えながら、所在をなくした右腕をすごすごと下ろした。  しかしなんつー夢だ。テストの点数とキャラ崩壊クリスティーの大乱舞祭りはこの際置いておく。どうやら夢の設定ではキユリと付き合っていることになっていたらしい。手なんか繋いじゃって。あまつさえおばあちゃんになっても云々という願い事など。  バカバカしい、とジョージは左を向くように寝返りを打った。 「うわっ!?」  頓狂な叫びが飛び出した。左を向いたジョージの真正面にキユリの顔があったのだ。キユリはベッドに寄りかかり、組んだ腕を枕代わりに左頬を乗せて寝息を立てていた。頬が熱くなった。  くそっ、とジョージは舌打ちをして再び仰向けに直った。頬が熱くなったのは変な夢を見たばかりだからだ。キユリとはただの幼馴染で、今更惚れただの腫れただの馬鹿げている。でも……まぁ、 「無事で良かった」  横目でキユリの寝顔を眺めたり、イヤイヤ何やってんだと自分を戒めて天井に視線を戻したりを繰り返すのは、キユリが目を覚ますまで続いた。 「よく寝たー!」  キユリはうんと伸びをした。 「スガルさん、お世話になりました!」  扉を開けるとカランコロンとベルが鳴った。 「あいよ」 と、威勢の良い返事で二人を見送ったのは山雲亭の主人スガル・ロックハートで、カウンター脇に飾られた斧を担いだ筋骨隆々な上裸男の像を磨く日課に忙しそうだった。よく知らないけど由緒正しい像らしい。ちなみに筋骨隆々はあたしの趣味には合わない。  すでに日は高く上がっていた。通りの向かいの店では、木を加工した食器や雑貨が並んでいる。隣の店では、ちょうど店主が店先の野菜を補充しているところだった。石畳の通りをにぎやかに人が行き交っている。バース通りが見せる昼間の日常である。  ジョージは歩きながら肩を回したり(もも)を上げたり腰を捻ったりしている。 「体大丈夫そう?」  次にジョージが始めたのは前屈と後屈であった。 「うんまぁなんとか」  寝たら治った、とめちゃくちゃなことを言っている。キユリの記憶の限りでもジョージはだいぶ痛めつけられていたはずだが、頑丈なことで何よりである。とは言っても、体を動かすとたまに顔をしかめているので多少の強がりもあるみたいだった。なんだかかわいい。 「お前こそ大丈夫かよ?」 「何が」 「……胸が」  微妙に言いよどんだのは、男が女性の胸について言及するのが恥ずかしい年頃だからだろうか。別に気にしなくていいのに。小さい頃は一緒に風呂入った仲じゃん。 「痕も残ってなかったよ。ジョージが助けてくれたんだってね。パックさんから聞いた」 「治したのは先生。オレは馬に乗っけて連れてっただけ」  連れてっただけでもあたしにとっては助けてくれたことに変わりないんだけどな。ジョージがパックの元に届けてくれなかったら、こうして次の日を迎えることができなかったかもしれないことをキユリは知っている。  黒いマントの男が立ち去った後、キユリとジョージは山雲亭に運ばれた。山雲亭とはプレーリー村唯一の宿屋で、代々ロックハート家が経営している。実際には宿とは名ばかりで、プレーリー村を訪れる旅人自体がほとんどいないため宿泊客はゼロに等しい。専ら井戸端会議の会場や喫茶店代わりに使われていた。  先に目を覚ましたのはキユリで、パックから昨晩のドタバタについて一通り説明を受けた次第である。治療のために服を切ったことも謝られた。どうせ血みどろでもう着られなかったので大したことではない。  その後、傷だらけのジョージの体を拭いたり手当をしたりと面倒を見ていたら不覚にも枕元で居眠りをしてしまったのだ。  よだれが垂れてたの見られたかもしれない。  いびきかいてたらどうしよう。  十三歳の女心的には昨晩のドタバタで胸を見られたかもしれないことよりもそっちのほうが気になった。どーせ見られて困るような胸じゃないし、と自虐的な言い訳に少し落ち込みはしたが。  二人が向かっているのは村長宅。ジョージが起きたら村長の家に行くようパックから言付かっていた。その道すがら、 「そうそう、クリスティー先生からも伝言」  ジョージはびくっと首をすくめた。そんなビビるなよ、と背中をバシンと叩く。  ジョージの体が泳いだ。  えっ――。これくらいで、とキユリはうろたえた。ジョージが鍛えているのをいいことについ遠慮なく叩いてしまうが、改めて本調子ではないのだと思い知らされた。 「宿題と補習は延期」  気を取り直して伝えると、硬直していたジョージの表情がとたんに緩んだ。それはもう、だらしないくらいに。 「代わりに明日からは学校に来るようにって。多少の怪我くらい日常茶飯事なんだから今更サボるなってさ」 「学校行くくらい朝飯前だ! 行くだけなら!」  学校を何だと思っているんだ、居眠りして弁当食いに行くだけか。と、いつもなら小言の一つも挟んでやるところだが今回ばかりは不問に付すとしたものだろう。  明日の弁当はちょっと豪華にしてあげよっかな、とキユリはメニューを思案し始めた。  村長宅のベルを鳴らしたジョージとキユリはリビングに通され、ソファーに腰かけた。向かいに座ったガッドは左肩を背もたれに預けて紅茶をすすっている。 「無事で何よりじゃった。キユリちゃんも良く頑張ったの」 「いえ、皆さんのおかげです。ありがとうございました」  キユリが頭を下げながら答えた。 「村長こそ無事で良かった」  安堵の声はジョージである。ガッドの透明化呪文が切れた時。うろたえるなと自分に言い聞かせ続けないと馬を駆っていられなかったくらいには立派にうろたえた。だからこそこうして目の前でくつろいでいるガッドの姿にどれだけ人心地がついたことか。  しかしガッドの口から飛び出したのは思いがけない憎まれ口だった。 「お前なんぞに心配されるほど衰えておらんわ。なんなら庭でやるか? 五秒で地面を拝ませてやるわい」 「はぁー? せっかく人が珍しく殊勝に……」  ジョージは目を剥いたが、ガッドはべーっと舌を出した。 「いいわいそんなもん。キモチワルイ」  キモチワルイ? キモチワルイってほざいたかこのジジイ! ちょっと本気で心配したらこれだよ! 「えと、他の皆さんは大丈夫ですか?」  ふて腐れたジョージを見かねたのかキユリが話題を変えた。他の皆さんとは言わずもがな、ジョージ以外の剣士たちのことである。 「あいつらも頑丈じゃ。パックがあらかじめ防御呪文の指示を出しておったから、見た目派手にやられた割に大事には至っておらんよ……カラハリ以外は」
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