呂蒙

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姓名:呂蒙(りょもう) 字:子明(しめい) 軍:呉 年少の頃、姉の夫が孫策の重臣であったことから孫策に若くして仕えるようになった。 その頃はかなり血の気が多かったらしくからかわれた事に腹を立て、人を斬り殺して逃げた……という話もある(ぇ) 孫策の死後は孫権にいたく気に入られ仕えるようになり、共に連れて行った戦の先々で手柄を立てた。 しかし、呂蒙は武勇においては呉の武将の中でもずば抜けて凄かったが、学問からは常に逃げの体制。そこで孫権が「重臣たる者きちんとした教養を身につけるべきだ」と諭呂蒙を諭し、それを期に本を読むようになってからは陣中にも書物を手離さなくなったらしい。(活字中毒…) 魯粛が病没した周ユのかわりに陸口に赴く途中、呂蒙の陣営に立ち寄って語り合ったところその利発さに驚き「呉下の阿蒙に非ず」(呉にいた頃の蒙ちゃんではない)と魯粛が言い、それに呂蒙が「士別れて三日なれば、(舌リ)目して相待すべし」(三日も会わなければ目を見張るばかりに進歩するのが士というものだ)と応えたという話は有名。(因みに"阿~"とは"~ちゃん"という愛称的な意味。ここでは皮肉って使ってるんでしょうね。)そして呂蒙の一番の大功績といえば関羽を討ち荊州を奪還したことである。 しかし、人気の高い関羽を討ち取 った為か悪者として書かれている事が多い。(演義とか) むしろあの関羽を策に入れ、討ち取ったことを褒め称えるべきなのではと私は思うのだが…。 そして呂蒙はこの作戦の成功後、その年の内に病死した。41歳だった。 孫権は金を積んで名医を募ったが効き目はなかった。 医師が鍼を打てば自分が打たれたように痛みを感じ、病床の呂蒙の顔を見るために壁に穴をあけさせて、呂蒙に気をつかわせないように覗いていたとか……(一歩間違えればストーカーだよね) 武勇にも抜きん出、知略にも富んだ優秀な人物であったと言えるだろう。image=118313717.jpg
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