〓馬超

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姓名:馬超(ばちょう) 字:猛起(もうき) 軍:ショク(漢字が出ない;) 馬騰の長男。錦馬超の異名を持つ。 五虎将軍の中でもチベット系遊牧民・キョウ族の血を引く猛将として異彩を放ち、その武勇のほどはとても名高い。 呉の周ユでさえ、劉備を差し置いて馬超と連合し、共に曹操に当たろうとしたほど。 建安十三年(208)、丞相の位についた曹操は馬超を召しかかえようとしたが、馬超には曹操の風下に立つ気は更々なかった。曹操にしてみれば関中以西に勢力を張る実力者を味方につけたかったのだろう。しかし曹操が漢中の張魯征討の軍をおこしたとき、その遠征軍は関中を通過せざるを得なかった。そのため馬超をはじめとする関中の諸将はこれを自分達への攻撃とみなし、曹操に対して公然と反旗を翻した。(単純なのか意図的なのか…) 曹操もまた夏侯淵や曹仁等を率いて馬超らと対峙した。緒戦、曹操が渡河を試みたが、馬超は精鋭を率いて船に猛攻をかけ、曹操の軍は混乱し曹操自身すら命を落としかける程だったそうだ。その後も激しい攻防が続いたが、途中馬超、韓遂と曹操の間に会談が儲けられ、馬超はその時に自分の武勇を頼りに曹操を捕らえようとしたが、護衛の許楮がいた為実行出来なかった。最後は曹操の参謀の策により韓遂と不和に追い込まれ、曹操に攻撃され大敗北を喫し、キョ族の地に逃れた。この戦いの後、馬超の挙兵の責任を問われ、父の馬騰と一族二百人あまりが皆殺しとなった。
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