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なぜなら、東北各地には、彼の生存説があり、彼が立ち寄った痕跡さえ残されているのです。
例えば、青森県には、義経(ぎけい)寺という寺があり、そこには義経に関する書物がある、内容は、寺の建設を義経が手伝い、その礼として水牛を貰い、それに乗り北海道へ渡ったというものだ。
何故死んでいないと思うのか、という事の根拠としてはこれでは、まだ小さいが、根拠はまだあります。
義経が死に、首が鎌倉に送られた時、首は腐っていて、一体誰の首か判断が出来ない状態だったという。
それに、平泉当主泰衝は義経を生け捕りにするよう命じていて、戦を仕掛ける話は無かったそうだ。
これが本当であれば、泰衝を信じている義経に、わざわざ戦を仕掛けなくとも、容易に事は運んだはずだ。
食事に誘って薬を盛るとか。
それなら首を傷つけず綺麗な状態で送れたはず。
ではなぜに、わざわざ派手な戦を仕掛けたのか?
これは、義経を殺さず、逃がすためのカモフラージュが目的だったのでは?
また、鎌倉に来た義経の首実験に、頼朝は立ち合わなかった、それどころか、義経が泰衝に討たれたとされているのに、頼朝はその後自ら兵を率いて平泉に出陣しているのです。
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