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そもそも、頼朝はそう滅多に鎌倉の地から出ない人で、彼が兵を率いて出陣する場合は、余程の事情がある時なのです。
彼は従兄弟の木曾義仲が頼朝に抜け駆けして京を攻めようとした際も、自ら兵を率いているのです。
この様に彼は、敵であるはずの平家より、同じ一族の源氏の方に不信感を持っていたようです。
という事は、彼が奥州征伐へ出陣した理由は、義経生存を察知したからではないでしょうか?
いずれにしても、義経=チンギス・ハーン説が、矛盾していたとしても、生存説、北上説がある以上、この義経のなぞは、続くのでしょう。
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