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キリストについて調べると、何にも載っていない空白の時期がある。
それは若い頃の21歳~33歳までの11年間だ。
この時、彼はエジプトに居て、修業の為に陸路で東に向かった。
そしてシルクロードなどを通り日本に着いた。
その証拠に、ユダヤに帰ったキリストは、「ヨハネや周囲の人々に神国日本の尊さを語り続けた…」とある。
彼が日本語を話せたという話もある。
だが、帰ったキリストを待っていたのは、彼の話を聞き入れない人達からの処刑言い渡しだった。
そしてキリストはゴルゴダの丘で磔にされ、ロンギヌスによって槍で殺される。
だが、この時殺されたのは、キリストの弟、イスキリだった。
※『キリストは最後の時、神へ呪いの言葉を吐いた』(聖書参照)
これは、弟が身代わりだったからなのでは?という疑問が浮かぶ。
その後キリストは、かつての修業の場『神国日本』を目指した。
キリストが辿り着いたのは、青森県新郷村だった。
新郷村は、かつて戸来村と呼ばれていた。
これは、ヘブライ語のヘブライが訛って戸来(ヘライ)になったものとも言われる。
その他にも、この地方に伝わる不思議がある。
例えば父親をアヤ、母親をアバと呼ぶのも、ユダヤの言葉でAbamとEveが訛ったものではないか。
ダビデの五芒星を家紋にしている家もある。また、「ナニャドヤラー、ナニャドレサレノ、ナニャドヤラー…」という不可解な歌も伝わっているが、これは、ヘブライ語?で『あなたに聖名を誉め讃えん、あなたに毛人を掃万して、あなたに聖名を誉め讃えん…』という歌になる。
さらに、初めて外出する子供の額に、十字を書く風習もあるのだ。
そして、「竹内文書」に記載された場所には、キリストの墓とイスキリの耳塚も発見された。
*「竹内文書」とは、茨城県磯原町(現北茨城市)にある、皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる古文書。
日本に渡ったキリストは、宗教普及活動はしなかったが、全国行脚をして回った。
人々は、大柄で白髪、赤ら顔で鼻が大きい、碧眼のキリストを見て、天狗と言った。
その後キリストは106歳まで生きて、この神国日本の土になった。
ちなみに、キリストの遺書もあるのだ。
かなり胡散臭いが。
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