青垣峠の戦い

3/6
前へ
/51ページ
次へ
1571年8月15日 最後まで抵抗していた小寺孝高が八上城を開放降伏した。 他の山名一族の重臣が願えっていくなか唯一人最後迄降伏せず、戦い続けた小寺孝高であったが遂に降伏。彼の忠義ぶりを惜しんだ晴宗は彼の家臣全員を赦し家臣に加えた。それに感動した小寺孝高は伊達晴宗の腹心となったのであった。 そしてこの戦で数多くの者が帰参を赦される。小川瀧正もその一人であった。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!

139人が本棚に入れています
本棚に追加