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多分この日は、僕達の最後の日常の記憶。愛しく切なく、狂おしい程渇望しても戻る事のない、平穏な日常のカケラ。
『ただいま人身事故の為、運転を見合わせております。申し訳ありませんが今暫くお待ち下さい。繰り返しご連絡致します―…』
炎天下。気温は1日を通して30度を超えた真夏の日の朝、僕達は箱の中で動けずにいた。苛立ちの為の舌打ちや、ケータイの着信を知らせる着うた、不満を漏らす声が中の温度を上げる。
僕はと言うと、低い身長が災いして完全に人に挟まれ不快極まりない状態のまま、チラリと右上に視線を上げた。
「――?」
見上げた先には、181cmの長身。僕の視線に気付くと、IPODを聞くのは止めないまま、何?と視線だけで問い返して来る。
「遅刻だね」
そう唇を動かすと、イヤホンを外した。途中、隣りのサラリーマンに肘がぶつかったのには、スンマセン、と口先だけで謝罪して友人は再度口を開く
「だな。でも、しょーがねーな。人死んだんだから。てか、遅刻してもオレは別にバカだから変わんね」
「…人身事故初めてだ」
「あー、オレは2回目。あん時は先頭車両だった、確か。……怖ぇ?」
「…さっきの、衝撃で誰かが亡くなったって言う実感がないから全然。」
「まぁな」
続ける言葉が無くなり、僕達はまた視線を外して、外を見つめた。清掃服を着た大人、警察、救急車、そして地面に貼付けられたブルーシート。風が吹くと弱々しくハタリ…と揺れるの端を見るともなしに、ぼんやりと見つめる。状態に飽きてきた乗客の何人かは、写メを撮っているみたいで、カシャカシャと音が響いていた。
「ぁ!運んでく」
その時、何処からか上がった声に一斉に箱の中の全員の視線が外へと向いた。救急車の中に、地面にあるのと同じ、でもそれよりも遥かに小さいブルーシートで巻かれた担架が運ばれて行く。
死んだのは大柄な人物なのか、爪先だけが担架からチラリと食み出している。
「――っ?」
そして、車体へと搬入されるその一瞬…あの時、確かにその爪先は動いたんだ。
ただ、それに気付いた人は多分居ない。僕の隣りの友人でさえも、それには気付いて居ない。
『お待たせしました。これより運転を再開します…』
陽射が強さを増し始めたAM9:00。車体は非日常から日常を始める為に動き出した。
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