2007年大晦日

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さてここでルーマニアのことについてザッと書いておこう。 ルーマニアの東隣りは、ウクライナで、旧ソビエト連邦の領域だ。 ロシアがヨーロッパに進出する度に蹂躙された土地だ。 彼らはイタリアと同じラテン系である。 人口は日本の5分の1、首都はブカレストで、200万人くらいが住み、旧共産国だった。 1989年に革命が起き2007年には念願のEUに加盟出来、現在に至っている。 第二次対戦後の1965年には、チャウシェスク大統領が実権を握り、独裁を進めていく。 多額な対外債務のために、農作物を生産し、海外に輸出して外貨を稼ぎ、飢餓に苦しむ国民を横目に、政府の上層部の汚職のかぎりをつくした。 1989年12月16日のティショアラで起きたハンガリー牧師退去事件を契機に、抗議運動が活発化し、チャウシェスク大統領の側近の治安部隊が激しくデモ隊に銃弾を浴びせ内乱状態に一時陥る。 12月25日にチャウシェスク大統領夫妻は処刑され終結するのだが、このぺージの写真の建物の名前は、「国民の館」とは名ばかりの物で、日本円にして1500億円を当時注ぎ込んで造らせたと言われる宮殿は、アメリカの国防省のペンタゴンに次ぐ世界で二番目に大きい規模だ。 部屋数は3107部屋、馬鹿でかい壁、ピンクや茶の大理石、革命途中で頓挫し、家具などは搬入されなかったと言うが、どう見てもベルサイル宮殿をイメージしているとしか思えなかった。image=119219183.jpg
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