浅井久政

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久政は一代で北近江を自らの手中に治めた大名浅井亮政を父に持つ。 子には長政を合わせても九人と子沢山であった。 孫に淀君・常高院・崇源院、曾孫に豊臣秀頼・徳川家光・徳川忠長・徳川和子、玄孫に明正天皇・徳川家綱・徳川綱吉…………脈々とその血筋は名高い人物に受け継がれて行った。 久政は武勇名高い父亮政とは違い愚鈍な人物とされ、南近江を領する六角氏の攻勢に押され、徹底した従属態度を取り家臣の不満を高めてしまった。 だがそんな久政も内政に置いてはその手腕を発揮した。 領民の生活基盤の向上に生産力の安定で戦国大名としての浅井氏を作りあげたのである。 先代亮政が武力で臣従させた土豪達を完全に従わせ、徳政令を出す等の才能を発揮した。 だがそんな久政だが野良田合戦にて嫡男長政が大勝すると家臣達によるクーデターで家督を強引に長政に譲らされ竹生島に幽閉されてしまう。 だがその後は長政と和解して小谷城に戻った。 本来ならば浅井氏が六角氏に従属した際は領土の一部を割譲されるのが普通だが久政の外交能力によりそれが無かったのは非常に稀であるそうだった。 現在の調査では今まで息子長政に比べて愚鈍とされたが実際は武力以外は長けていたそうだ。
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