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「う……。」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁ、と叫びだしたくなる思いを必死で堪える。喉元まで出かかった悲鳴を押し戻す。体育の時のものとは明らかに異質なねばっこい汗が、どっと噴き出すのが背中に、顔に感じられる。
と、ずしり、と両肩に冷たい手が置かれた。
どきん。
また一つ、心臓が大きく跳ね上がる。
無理矢理に首を捻じ曲げて顔を上げると、歯科医たる老院長が、深い皺が刻まれた顔にとって付けた様な不器用な笑みを貼りつけて私を見ていた。
「どうしたの?もうすぐ前の患者さんのカルテ書き終わるからね、あそこに座ってちょっと待っててね。」
引きつった顔のまま私はこくりと頷き、早くこの手の重さから逃れたいと、そればかりを願った。
歯科医は私が頷くのを合図に私の肩を解放し、白衣をはためかせてくるりときびすを返した。
安堵した私は血塗れの(よくよく記憶を辿ると小さな肉片もこびりついているのが見えた)歯を忘れようと懸命になりながら前を向く。が、同時に突き刺さる様な視線を背後に感じた。
「気のせいだ、大丈夫、すぐ終わる。気のせいだ、大丈夫、すぐ終わる。」
呪文の様に小さく口の中で呟きながら、私は接着剤を塗りたくられたスリッパをべりべりと剥がすように、一歩、また一歩と指定された診察台へ歩きだした。
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