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「あれ、寝ちゃったの?」
「みたいですね」
遊佐(ゆさ)はビーフシチューの皿を手に苦笑いした。
カウンターに突っ伏して眠る彼女には覚えがある。
この店に若い女の子が一人で来るのは珍しいし、美味しそうにホットサンドにかぶりつく姿も印象的だった。
「あ~降りだしたか」
常連客の男はガラス越しに濡れる街並みを見て呟く。
「そろそろ帰らないと、奥さん待ってるんでしょう?」
「……仕方ねぇ、帰るか」
「仕方なく」などと言っているが、彼はものすごく愛妻家だ。
「傘あります?」
「持たされたからな」
男は千円札をカウンターに置くと、折り畳み傘を振りながら出ていった。
それから30分もすると客は引きはじめ、9時を過ぎる頃にはテーブル席も空になった。
雨は激しさを増し、人通りもない。
(今日はもう店じまいかな……)
遊佐は『Closed』の札を掛け、看板の灯りを消すと、そっと扉を閉めた。
どうしようかとカウンターを振り返ると、肩からコートがずり落ちている。
掛け直そうとコートに手を伸ばした瞬間、黒い瞳がぱちりと開いて、至近距離で見つめ合ったまま遊佐は暫く動けなかった。
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