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「美味しいっ」
ひとくち食べて、みずきは思わず声を上げる。
肉も野菜も柔らかく煮込まれ、それでいて風味はしっかり残っている。仄かに赤ワインの香りがして、喫茶店とは思えない程本格的だった。
「ありがとうございます」
マスターは嬉しそうに微笑んで、トーストの皿をみずきの前に置いた。
「……甘い匂いがしますね?」
「アーモンドトーストです」
みずきは首を傾げながらひとくちかじる。
香ばしいアーモンドの香りが口の中に広がった。
「美味しい……」
「常連さんのリクエストでメニューに入れたんです。この辺りでは珍しいでしょう?」
みずきは頷く。
多弁ではないが、穏やかな声音は耳に心地よかった。
激しい雨音さえ優しく聞こえる。
ひとりきりじゃない夕食は久しぶりで、他愛ない会話は渇いてひび割れた大地を潤す雨のように、みずきの心を優しく満たしてくれた。
食後の珈琲までしっかり頂いて、みずきは席を立つ。
雨足は弱まったものの、まだ結構降っていた。
「遅くまですみませんでした」
勘定を終えて扉に手をかけたみずきに、マスターが傘を差し出す。
「どうぞ。紳士物ですが、折り畳みだと濡れますから」
「でも……」
「たくさんあるので大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
柔らかな笑みに押され、みずきは大きめの傘を受けとった。
外気は冷たかったけれど、傘を叩く雨音は不思議と暖かく聴こえた。
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