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傘を借りた日から一週間、その日は特にトラブルもなく閉店し、定時丁度にパソコンを閉じ席を立った。
「今日は冷えますねぇ……」
菜穂は視線を上げ、白い息を吐く。
澄んだ空気に街路樹のイルミネーションが鮮やかに輝く。
「そう言えば来週ですよね、バレンタイン」
「あ、そうだね」
「先輩は誰にあげるんですか?」
「誰って……特に予定はないけど」
「だってそれ、紳士物ですよね?」
みずきの手にある傘を目敏く見つけて菜穂は言う。
「ああ、これは借り物」
「へぇ~」
「喫茶店で借りたの。菜穂ちゃんが期待するようなことじゃないから」
意味ありげな視線を向ける菜穂に、みずきは言い訳のように呟く。
「ふぅん……これから返しに行くんですか?」
「まぁ」
「寒いですよねぇ~温かいものでも飲みたい気分ですねぇ」
こういうことを言っても許されるのは、さっぱりとした気質のせいだろう。
みずきは苦笑いを返しながら、「一緒に来る?」と菜穂を誘ったのだった。
「いらっしゃいませ」
みずきに気づくと、遊佐は人懐こいみで二人を迎えた。
「先日は傘をありがとうございました」
「何時でもよかったのに」
そう言いながら、カウンターを出て傘を受け取る。
店内は空いていたが、菜穂に押されるようにカウンターに腰を下ろす。
「お友達ですか?」
「会社の後輩で……」
「園田菜穂です」
菜穂は接客の時にも見せないような満面の笑みを遊佐に向ける。
「遊佐です」
言いながら視線を向けられ、「葵みずきです」と名乗った。
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