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「そうだなぁ…残念だけどそろそろ行かなきゃならない時期なんだ」
春の盛りは旅立ちの始まり。
桜が満開になると春の精霊たちは気もそぞろに旅仕度を整える。なぜなら次に控えた夏の精霊たちときたら、横暴・傍若無人限り無いからだ。
せっかく冬の寒さを縫って蕾を開かせた桜花を、雨風を吹き散らかせて無惨にも枯れ木のごとくしてしまうのが、件の夏の精霊たちで、春を司る自分も幾度か痛い目にあっている。
「他のみんなも北へ行っちゃったみたいだし。だから名残惜しいけど、夏の連中が顔を出す前にボクも風に乗ってしまうつもりだよ」
それを聴いた古木は少し間をおいて、
『ううむ』
と、軽く唸った。
「え、どうかした?ひょっとしてボクが余所へ行っちゃうのがさみしいとか?」
桜の老木があまりに深く考え込んでしまった様子を見た春の精霊が、長い睫毛をぱちくりさせて問い掛けると、古木はまたも
『ううむ』
と唸った後、慎重な面持ちで精霊に話しかけた。
『…ヒトの暦だと、今日で丁度六月じゃな』
沈黙。
ぽかん、とした春の精霊が、周囲の屋敷神たちを振り仰ぐと、彼らも古木の言葉に頷いていた。
「……え~っと……。だってボクはつい三夜前に此処に着いたばかりで」
混乱した春の精霊が頭を抱えていると、親切な虫神が地面を舞っていた新聞紙を咥えて精霊の足下へ引き摺ってきてくれた。
蟻の群が声を揃えて文字を読み上げる。
『6ガツセ~ケンコータイヤベナイカクセクハラソージショク!』
「わー、スゴイね君たち。ヒトの文字よめるんだ」
『センビキアツマリャモンジュノチエ!チナミニ、6ガツニナッテモ、チラネェソコノサクラモシンブンニノッテルゼ!』
「そっかー、六月になっても散らない桜って………」
再びの沈黙。
幹から飛び下りて新聞紙をまじまじと眺めた春の精霊は素頓狂な大声を上げた。
「えええ!!?いま六月なの?!」
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