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居場所
町外れの場末の酒場。
そこが彼女にとって唯一無二の居場所だった。
その日までは。
丑三つ時。ようやく最後の客がはけ、麻由子は黙々と座敷の座布団を片付け始めていた。
化粧一つしてない疲れ気味の顔。しかし張りを失わないその絹肌は、麻由子が自称する30歳という年齢よりも、実際はずっと若い事をあらわしている。
座布団を隅へとまとめ終わると、ふうっと一息いれて額に一筋落ちて来た伸びすぎた前髪を疎ましげに耳にかけた。
長い黒髪は後ろに引っ詰められて簡素な髪ゴムで一つに束ねられている。その上から朱色の三角巾で髪を覆っていて、さすが食品を扱う商売者らしい姿と言えよう。
それと揃いのくすんだ朱色の作務衣の袖をまくりあげ、座敷のテーブルに広げられた使い汚された皿を重ね合わせていると、カウンターの中から麻由子へと指示が飛んだ。
「おい、先に暖簾をしまえ」
いつものように客のご相伴に預かったほろ酔いの赤ら顔で、大将は出刃包丁片手にドスの利いた声を出す。
表の明かりは消してあるが、暖簾が出たままでは閉店を察せぬ客がふらりと入りかねない。
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