(一)

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 うっすらと霧がかかっていた。深夜の二時ともなると、この田舎町は人通りも途絶えシーンと静まりかえっている。遠くの方で、悲し気な犬の遠吠えが聞こえていた。  そういえば、昔京大病院の近くに住んでいた頃もこんな声を聞いた。  病院には生体実験用の犬が繋がれているそうで、その犬が深夜に哭いているのだ。  糸を引くように腹の底から絞り出すその声は、はっきりと死を予感した絶望そのものだった。聞いていると堪らない気持ちになった。  あの時の哭き声にそっくりじゃないか……そう思った。  聞いているうちに、霧は更に深くなっていた。    私はこの田舎町のマンションで、一人暮らしをしている。五階建ての最上階だ。  二ヶ月前に六年間勤めていた会社をクビになり、今では酒浸りの毎日だ。スゥーっと気が抜けてしまったのだ。  多少の蓄えはあったから日々の生活に困ることはなかったが、髭も剃らず、洗濯をするのも億劫で、万年床に寝起きする姿はまるで野良犬のようだと自分でも思う。  部屋の汚さを忘れるにはベランダに座ることだ。  田舎町で辺りに高層ビルの無いそのマンションからは、琵琶湖が一望出来た。  せめてベランダだけは掃き清め、そこに椅子とテーブルを置いていた。  外に出るのは酒と煙草を買いに行く時くらいだ。私は日がな一日ベランダに座り酒を飲んでいた。  毎日の酒は抜け切らず胃にズシンときていた。肝臓をやられたかなとは思ったが、病院に行くつもりなどない。気だるさを忘れる為にも、またグラスを手にしていた。  
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