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郷方下役の山内勘平が次席家老の屋敷に呼ばれたのは、日もとっぷり暮れた五つ(午後九時)の頃だった。
野太い声でおとないが入り、玄関を開けてみると、勘平より一回り大きい骨太な男が立っていた。
「夜分遅くにすまぬが、今すぐ佐伯様の屋敷までご足労願いたい」
言葉尻こそ丁寧だが、その口調にはこちらに有無を告がせぬ凄みが利いていた。
「はぁ、わかりました。すぐ支度しますので、しばしお待ちください」
勘平は男を招き入れると、そそくさと奥の間に引き返した。
閨では妻女の佳代が心配そうに亭主を見上げている。色白な肌が青ざめているようだった。
「佐伯様のお呼びが掛かった。すぐに行かねばならん」
「まぁ、今すぐですか?」
不審そうに言いはしたものの、佳代は勘平の着替えを手伝った。勘平は帯の結び方が尋常でないほど下手なのである。
「お前は先に寝ておれ。何、すぐに帰ってくる」
大小を腰に差し、勘平は優しく微笑んだ。
当惑している佳代を置いて、勘平は男と家を出た。
そろそろ夏も盛りに入り、夜でもじとりと暑い。
数匹の蛍が田端の茂みに飛び交っていた。
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